10人に1人といわれる左利き。「頭がよさそう」「器用」「絵が上手」……。左利きには、なぜかいろんなイメージがつきまといます。なぜそう言われるのか、実際はどうなのか、これまで明確な答えはありませんでした。『1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き』(ダイヤモンド社刊)では、数多くの脳を診断した世界で最初の脳内科医で、自身も左利きの加藤俊徳氏が、脳科学の視点からその才能のすべてを解き明かします。左利きにとっては、これまで知らなかった自分を知る1冊に、右利きにとっては身近な左利きのトリセツに。本記事では本書より一部を特別に公開します。
私は左利きだったから
世界で最初の「脳内科医」になった
私は生まれつきの左利きです。左利きの割合は、全体のおよそ10%と言われています。
何十年も脳の研究をしてきた今だからこそ「左利きは10人に1人のすごい存在」だと自信をもって言えますが、幼い頃から「自分はまわりの人とは何か違うな」と感じていました。
「右手を他の子のように動かせない」と気づいたのは、3歳のときです。親戚の法事に祖母と行くと、「この子、左利きなんだね」と言われて、集団で食事をするときにも、「この子、左利き」がお決まり文句でした。いつの間にか、みんなで食事の時間は、端のほうに行って、食べている姿が見えないようにしていました。
今さらながらに自己分析をすると、私が無意識に周囲の環境を体感できたり、かなり距離が離れていても相手の様子を感じ取ったりできるのは、この頃の記憶と左利きによる習慣の影響を受けていると考えています。
研ぎ澄まされた両手の感覚を持つ
なんとか、右手がうまく使えるようにならないか。子どもなりに知恵を絞り、私はまだ字が書けない4歳のときから親に頼んで、右手で毛筆と硬筆の両方を習う書道教室に通い始めました。
練習中に一番苦労したのは、指先への力加減でした。文字の形はお手本を見れば何とか書けるようになるのですが、右手の指先の力加減は、先生の手を観察したからといって、そう簡単に同じようにはできなかったのです。まして、筆と鉛筆では、文字の止め、はねの力加減が大きく異なります。
そのため、右手の指先の力加減を意識するだけでなく、利き手の左手の感覚も細かく意識するようになりました。そして、このような両手を意識する習慣のためか、右手で作業を行った場合と、左手で行った場合では、自分の気持ちまで大きく違うことに気づきました。左手を使うときは俊敏で大胆になり、右手では慎重で丁寧になるので、中学時代、絵を書くときは、右手と左手を使い分けるなど、両手の感覚が研ぎ澄まされていきました。
瞬時にその状況の核心を把握する
文章を声に出して読むときに頻繁につっかえてしまう「音読障害」だった私は、小学校の授業になかなかついていけず、2年生のときの通知表は、5段階評価で「2」と「3」ばかり。そこで、「勉強ができないなら、新潟県のスポーツで1番になろう!」と考え、熱心に体を鍛える自主トレーニングを始めました。そして、中学校ではバスケットボール部ながら、見様見真似の自主トレだけで、柔道で大人を投げ飛ばし初段で黒帯を獲得、地域の大会でも入賞しました。
スポーツは、目で観察するだけで、その動きを習得するスピードが極端に速くなっていきました。目で動きのポイントを見つけたり、記憶してカラダで応用する能力が身についていたのです。
中学3年の夏、陸上競技の新潟県大会を目前にし、スタートダッシュの練習をしていたときのことです。前かがみになったときに、「頭が重い」と感じた私は、「カラダの動きは脳が指令を出しているのでは」とひらめきました。その瞬間、「カラダは鍛えてきたけれど、脳は鍛えていなかった」ことに大きなショックを受けたのを覚えています。
そしてこのとき、「なぜ、みんなのように右手が上手に使えないのだろう?」「まわりの人と違うかも」と幼い頃から感じ続けてきた疑問を解消するには、脳を学ぶしかないと確信したのです。大会では、砲丸投げで1位になることができましたが、表彰台に立っている間にも、私はすでに未来のことで頭がいっぱいでした。
「次は、医学部に入って脳だ」と、自分に誓いをたてていたのです。この意志は、高校3年生の卒業間際の進路指導で、「今すぐ、国立大学の体育学部に推薦できる」と言われても揺らぐことがありませんでした。
脳科学的に「すごい」左利き
スポーツで身につけた習得の速さは、医師となり、独学の速さに引き継がれていきました。小児科医となり2年目で最初に書いた英語論文は放射線学のトップジャーナル「Radiology」に掲載されました。学生時代に苦手だった英語を卒後2年で克服したのです。大人になっても苦手が克服できる英語の学び方は、『脳科学的に正しい英語学習法』(KADOKAWA)として出版しています。
医師2年目に勤務した病院には、世界で数台目のMRI装置がありました。MRI(Magnetic Resonance Imaging)とは、強い磁石を用いて体内の様子を多面的に撮影できる医療機器です。小児内科医になったことで、患者さんのMRIを撮りながら診療する機会を得た私は、目で見る脳の状態と人間の成長の関係や、これまでの医学書にはまったく書かれていない事実を画像で見て、寝食を忘れて夢中になりました。そしてMRIを使った脳研究に明け暮れ、30歳のときに、脳のMRIネットワーク活動画像法を発表しました。同じ時期、今では世界700ヵ所以上の脳研究施設で使われる、脳の活動を近赤外光を用いて計測する「fNIRS法」を発見しました。
「もっと脳を知りたい!」と思った14歳のときから、15年かけてやっと脳の実態を解明するための方法を手にして、その糸口をつかんだのです。
その後、アメリカのミネソタ大学放射線科に招かれて、さらに脳研究を深めて帰国、現在では、脳科学者、そしてMRI脳画像診断の専門家として、独自の「脳番地」の概念を用いて、子どもから高齢者まで幅広く脳の状態を診断、治療を行っています。
脳を画像として見ることができたとき、私がまず探したのが左利きと右利きの違いでした。次の脳画像は、左利きと右利きの人の運動系脳番地を通過する水平断面のMRIです。手の脳番地は、ドアノブの形をしています。右利きでは、左脳のドアノブが大きく、左利きでは右脳のドアノブが対側に比べて大きな断面になっていることがわかります。
この2つの脳画像を比べるだけで、右利きと左利きの脳の仕組みが異なることが見て取れます。そして、脳の違いを知るにつれて、私がこれまで抱えてきた左利きの疑問やコンプレックスは、すべて単に脳の成長のメカニズムの違いであることがわかったのです。
ハサミなどの道具が使いづらいだけでなく、まわりと異なる感性や独自の見方を持ち、生きる姿勢そのものまでも大勢とは違っている。左利きが感じる違和感は、脳の仕組みの違いによるものだったのです。脳の違いがわかってからは、右利きには右利きの個性があり、左利きには左利きの特徴がある、それぞれの持ち味を活かしていけばいいのだと思えるようになりました。
自己分析すると、私には左利きだからこその特別な身体感覚や視覚分析力が備わっていて、それによって、脳画像から病気を診断できるだけでなく、その人の長所、短所、性格や考え方まで見分けられる世界で最初の「脳内科医」になれたと考えています。
そして、そのような特別な能力を持っているのは私だけではありません。脳科学的に見て、左利きは多数派とは異なる個性を持つ「すごい」人たちです。そのため、この本では脳科学の見地から、左利きの「すごさ」を余すところなくお伝えしていきたいと思います。
私が左利きとして、思う存分、持てる能力を発揮できるようになったのは「脳を知りたい!」と思ったときから30年近くも経ってからです。世の中に存在する左利きの皆さん、そして左利きの子どもを持つ親御さんたちには、そんな遠回りをせずに、今すぐに「すごさ」を知っていただきたい。そして、左利きの潜在能力を存分に覚醒させてほしい! この本にはそんな願いが込められているのです。
(本原稿は『1万人の脳を見た名医が教える すごい左利き』から抜粋、編集したものです。本書では、脳科学的にみた左利きのすごい才能を多数ご紹介しています)
左利きの脳内科医、医学博士。加藤プラチナクリニック院長。株式会社脳の学校代表。昭和大学客員教授。発達脳科学・MRI脳画像診断の専門家。脳番地トレーニングの提唱者。
14歳のときに「脳を鍛える方法」を求めて医学部への進学を決意。1991年、現在、世界700ヵ所以上の施設で使われる脳活動計測fNIRS(エフニルス)法を発見。1995年から2001年まで米ミネソタ大学放射線科でアルツハイマー病やMRI脳画像の研究に従事。ADHD(注意欠陥多動性障害)、コミュニケーション障害など発達障害と関係する「海馬回旋遅滞症」を発見。帰国後は、独自開発した加藤式MRI脳画像診断法を用いて、子どもから超高齢者まで1万人以上を診断、治療を行う。「脳番地」「脳習慣」「脳貯金」など多数の造語を生み出す。InterFM 897「脳活性ラジオ Dr.加藤 脳の学校」のパーソナリティーを務め、著書には、『脳の強化書』(あさ出版)、『部屋も頭もスッキリする!片づけ脳』(自由国民社)、『脳とココロのしくみ入門』(朝日新聞出版)、『ADHDコンプレックスのための“脳番地トレーニング”』(大和出版)、『大人の発達障害』(白秋社)など多数。
・加藤プラチナクリニック公式サイト https://www.nobanchi.com
・脳の学校公式サイト https://www.nonogakko.com