妹に見えを張る兄の苦悩
頭を下げる日は来るか

 ちなみに筆者は、それとは別のモヤモヤに直面している。いや、モヤモヤはしていないので、「ちょっとした苦しさ」くらいの表現が適切かもしれない。この苦しさは見えに起因している。

 筆者世帯より妹世帯の稼ぎが圧倒的にいいので、そもそもの金銭感覚が異なっている。暗黙のうちにお互い歩み寄ろうという努力はあるが、根本的な部分のずれなので完全に一致させることは難しい。こちらは「妹世帯の方がより多くくれようとするかもしれない」と構え、向こうは「兄世帯が負担に感じない金額を設定せねば」と考えているはずである。

 そうした無言の駆け引きを踏まえた上で筆者の心はどう動くかというと、「妹にそのようなことを考えさせぬためにもこちらが先に一段階ギアを引き上げて金額設定しなければ」となるのである。これは長年、筆者が妹に兄として君臨してきたがゆえのプライドであり、業であり、ツケである。

 頭を下げて、とまで言わないが、「うちは金ないからこれだけね!」と軽くエクスキューズしておけばそれで問題なくなるはずなのだが、兄としてのプライドがそれを許さない。大体差額といってもせいぜい2000円とか5000円の世界である。それくらいの金額で生死が分かれるほど筆者世帯も汲々(きゅうきゅう)としているわけではない。しかし「見えを張らねば」と一度以上は考えたのは事実であり、それが筆者を苦しめている。つまり、いってみれば勝手に苦しんでいるわけである。

 もっと生活が切羽詰まってきたらいよいよ妹に、「お年玉を安くしたいです…」と相談するかもしれない。妹は理解してくれるはずだし、また気前がよいので、ひょっとしたら筆者の子どもとは別に、筆者にもお年玉をくれるかもしれぬ。そうしたらその時、筆者が40年近くにわたって築き守ってきた“対妹・威厳ある兄像”は粉々に砕け散るであろう。

 ならば筆者は、失った“威厳ある兄像”と引き換えに「バブ、バブ」などと言ってさらにおもねりながら、全力で妹からのお年玉を取りにいく所存である。