「つつがなく任期を終えること」は
次世代にとって本当に良いことか

 祖業(祖先が始めた事業)やかつて成長をけん引した事業を切れば、会社の歴史にそれをけん引した経営者として名を残すことになるし、いろいろと恨みを買う恐れもある。当然、雇用に関する従業員や組合からの反応も気になります。

 オーナー経営者ならばともかく、4年や6年程度の任期中に、無理にそんな大なたを振るう必要はない。これもある意味、賢明な判断かもしれません。

 でも、問題を先送りにすれば、任期をつつがなく終えられるという保証はどこにもありません。そもそも、今のような状態のままつつがなく終えることが、次の世代にとって本当に良いことなのでしょうか。

 ある日、アクティビストがやって来て、「今の経営は企業価値を毀損しているのではないか?」「なぜあの事業を売らないのか?」などと、問いただされるかもしれません。そのとき、彼らを納得させる理にかなった説明ができなければ、不本意な選択へと追い込まれる恐れがあります。

マインドシェアに余裕があるときに
「考えたくない」思考実験に取り組んでおく

 多くの企業が、「コーポレートガバナンス・コード」(上場企業が行う企業統治においてガイドラインとして参照すべき原則・指針)が求める積極的な「対話」によって、投資家との良好な関係を構築しようと努力しています。また、「リスクを果敢に」などと外野に言われるまでもなく、日々、経営はチャレンジの連続だと思います。

 しかし、成長の芽を育むことがかなわず、結果、日本株のひとつの特徴といえる、安定配当の原資が細ってきたとき、投資家が豹変しないと誰が言えるでしょうか。

 90年代に「トリプルボトムライン」(企業活動を社会的側面・環境的側面・経済的側面の3つの軸で評価しようとする概念)が提唱され、現在隆盛を誇っているESG(環境・社会・ガバナンス)ですが、資本主義のありよう云々(うんぬん)を持ち出すまでもなく、前提には「持続的な利益」があることに変わりません。以前、早稲田大学の宮島英昭教授との対談でもふれた、ダノンのエマニュエル・ファベールCEOが解任されたケースでも見られたように、少なくとも現時点においては、利益あってこそのESGです。

 その企業内では成長シナリオが描けないような事業の整理を、投資家が求めてくることは当然です。そのときに打ち返す盾となるのが、前回お伝えした、「平時からの思考実験」です。悪くない状況下のマインドシェア(その企業が、消費者の心の中でどの程度好ましい地位を得ているか)に余裕があるときにこそ、「考えたくない」思考実験にも取り組んでおくべきでしょう。

 例えば、投資家もいろいろですが、業界に精通するもっとも優秀なアクティビストから、あなたの会社に対して厳しい提案がなされたとしましょう。その際に、「経営としては、当然、その選択肢も検討したが、現時点はほかの選択を取ることがベストと判断している」と、自信と根拠を持って言える準備ができるかどうか。これだけで経営の質がまったく違ってきます。

 東芝と同じタイミングで分割を発表した米ゼネラル・エレクトリックや米ジョンソン・エンド・ジョンソンも、思考実験の繰り返しの末に、今般の決断を下したのでしょう。

 ただし、多角化=悪というのはあまりにも単純な見方です。完全なシングルビジネスで戦い切れる企業は、世界でもそうそうあるものではありません。

 根っこにある技術的な要素が、しっかりとしたまとまりで存在していること。それを活用し、用途として広がりのある製品群を持つことは、素材や部材を扱う企業が多い日本の強みです。また、事業の柱が数本あることは、経営として選択肢を持てることにもつながります。

 もちろん、非関連の多角化、いわゆる「コングロマリット」で兵站線が伸び過ぎてしまっては、マネジメントは難しくなります。その結果として、複合経営が価値につながっていないとすれば、それは経営の責任。つまり、ファイナンスの世界で使われる「コングロマリット・ディスカウント」という乾いた用語ではなく、「マネジメント・ディスカウント」というべき状態となります。

 そうならないよう、何をもって自社としての「企業の境界」を引くのか、取引コストや技術といった伝統的な考え方を用いるのか、あるいは、本気で共有できる価値観やパーパスを軸にするのか。これについても思考実験しておくべきでしょう。