アリストテレスがアカデメイアを去った理由

 なぜ、アリストテレスはアカデメイアを去ったのか。

 理由の一つは、アカデメイアの教授陣の最高位である学頭の地位にプラトンの甥が選ばれたこと。

 もう一つの理由としては、当時の国際情勢が挙げられます。

 当時のアテナイは北の強国マケドニアが侵略してくることを警戒していました。

 そのためにマケドニア出身のアリストテレスは居心地が悪くなって、アテナイを去ったという説です。

 ただ、僕はこれらの理由だけではなく、哲学者アリストテレスとして、アカデメイアを去らざるをえない事情があったと考えています。

 それは次項で話します。

 アカデメイアを去ったアリストテレスは、習得してきた学問を教えながら小アジアの小都市アッソスで暮らしました。

 アリストテレスはBC342年、42歳の頃、マケドニア王ピリッポス2世(在位BC359-BC336)に招かれて、首都のペラに向かいました。

 ピリッポス2世はアリストテレスを、王太子アレクサンドロスの家庭教師に任命したのです。

 王はアリストテレスに、王太子一人を教えるのではなく、将来、彼のブレーンとなるべき優秀な貴族の子弟をも合わせて教育するよう依頼しました。