アレクサンドロス大王の家庭教師

 アリストテレスは、アレクサンドロスが13歳のときから教え始めます。

 そして6年後(BC336)、アレクサンドロスは王位に就きました。

 アレクサンドロス大王の誕生です。

 そしてその翌年(BC335)、大任を終えたアリストテレスはアテナイに戻りました。49歳前後でした。

 アテナイに戻ったアリストテレスは、東の郊外アポロン・リュケイオスの神殿のあるリュケイオンの地に、アレクサンドロス大王の資金援助を得て自らの学園を創設しました(フランスの高等学校、リセの語源)。

 アリストテレスは学園内のペリパトス(歩廊-散歩道のこと)を、弟子たちと散歩しながら講義をすることを好んだようです。

 そのためにリュケイオンのアリストテレスの学派は、ペリパトス派(逍遙学派〈しょうようがくは〉)と呼ばれるようになりました。

 BC323年、アレクサンドロス大王が没しました。

 すると最盛期にはインドのインダス川流域まで版図を拡大したアレクサンドロスの帝国も、各地が政情不安となり、アテナイにおいても反マケドニア運動が激化しました。

 アリストテレスもアテナイを追われるように去り、BC322年、母方の故郷のエウボイア島のカルキスでその生涯を閉じました。62歳でした。