「人種・民族に関する問題は根深い…」。コロナ禍で起こった人種差別反対デモを見てそう感じた人が多かっただろう。差別や戦争、政治、経済など、実は世界で起こっている問題の”根っこ”には民族問題があることが多い。芸術や文化にも”民族”を扱ったものは非常に多く、もはやビジネスパーソンの必須教養と言ってもいいだろう。本連載では、世界96カ国で学んだ元外交官・山中俊之氏による著書、『ビジネスエリートの必須教養「世界の民族」超入門』(ダイヤモンド社)の内容から、多様性・SDGs時代の世界の常識をお伝えしていく。
リーダーシップがある人材はロシアで活躍できない?
アメリカで行われた、ある国際会議に参加した時のことです。リーダーシップの専門家が集まるなかで、ロシア人参加者と雑談する機会があり、私は尋ねてみました。
「ロシアにおけるリーダーシップは、アメリカと違うのでしょうか?」
すると、彼は「ロシアは政治が専制的なところがあるので、『私はリーダーシップを取ります』という発言は良しとされませんよ。出すぎる釘は大統領に打たれる」。
笑みを浮かべた顔つきからして、明らかに冗談まじりの発言でしたが、私は「意外と本音なのかもしれない」と思いました。
アメリカは自主性を重んじる国で、「リーダーであれ」という教育は小学校からなされます。多くのヨーロッパも然りで、「古代ギリシャの時代から我々は自由を尊重してきた。市民の意見によって政治的決断をしてきた」という自負があります。
市民には奴隷や階級が低い人は含まれていないので異論はあるところですが、「民主的な我々に比べてアジアは専制的だ」というのがヨーロッパに一定数見られる意見で、その場合のアジアにはロシアも含まれていることがあります。
「中東、ペルシャ、中国、ロシアなど東は専制国家だ」という考え方は西ヨーロッパの東に対する偏見だと思いつつ、また例外は多数あるものの、うなずける部分もあります。
なぜなら、専制にはグラデーションがあります。「独裁者による絶対的な支配」という専制にはみんなノーといいますが、国のトップが責任を持って物事を決定する、やや緩やかな支配であれば、案外受け入れられています。
常に責任を持って自分の意見をいい、時には対立しても納得がいくまで話しあい、人に指示されて行動するより我が道をいく――これはリーダーシップを取る上で欠かせない姿勢ですが、「そんなの大変すぎる。しんどくて無理」という人たちもいるのは、日本の組織でも見られる現象ではないでしょうか。
「いちいち考えて意見をいったり、議論して対立したりするより、リーダーが決めたことに従うほうがいい」と考える。カリスマ的リーダーに引っ張られ、できれば褒められながら頑張りたい……。東にはそんな傾向が自然にあると感じられます。それが西ヨーロッパ人の目には、「専制的」と映るのかもしれません。
さらにロシアについていえば、絶対的に強いリーダーを求める歴史的な傾向があります。領主が農民を所有する農奴制やそれに近い仕組みは、封建社会の時代には世界中にありましたが、ロシアでは19世紀まで続きました。
農奴は領主の所有物であり、移動も結婚も領主の許可なくしては行えず、長い間奴隷のように売買された記録もあります。農民による反乱は何度もありましたが、鎮圧されるたびに締めつけは過酷になっていきました。
自由を奪われ、従うことに慣れ、自立を諦めた時、人は何を望むでしょう?
支配者に全部お任せして、「どうか暮らしを良くしてください。困ったら面倒を見てください」と願うようになるというわけです。それならリーダーは、強ければ強いほど「頼り甲斐があって良い」となります(全員ではないでしょうが)。
現在のロシアは14の国と陸地で国境を接しています。巨大な国土と多くの国々と接する国境線の存在は、他国との安全保障上の問題が生じやすくなります。北極海に面していますが、氷が多く自由な航海が長くできませんでした。
長い国境線と北極海に囲まれているこの閉塞感がロシアの対外的な恐怖感につながり、対外的に強いリーダーを求める要因になっていると私は考えています。
第一次世界大戦後ロシア革命が起こり、ロマノフ朝は終わりを迎えます。知識層と市民が手を携えて立ち上がった点は多くの国が民主化した流れと同じですが、ロシアの場合、革命の後は世界で初めての共産主義国家ソビエトになります。
レーニン率いるソビエトは、「兵士と労働者のための国家」のはずでしたが、実際は共産党が権力を持ち、秘密警察が跋扈する、厳しい統制が強いられた一党独裁でした。
皇帝から共産党政府へと支配者が変わっただけで、「人々には自由がない」という構造は変わらなかったのですから、個人のリーダーシップなど育みようがなかったのかもしれません。
中国にしてもロシアにしても、それぞれの国の専門家の意見などを総合すると、大きすぎる国はまとめることが難しく、ある程度強権的にせざるを得ない部分もあるのだと思います。
「大きい国=国土が広く人口が多い国」とすれば、専制的でないインドやアメリカも大きな国なので一概にはいえませんが、インドは多民族ながら文化として融和的な傾向があります。
また、アメリカは建国の経緯からして独立心旺盛なので、農奴として生きるしかなかったロシア人とは文化的・歴史的な背景が異なります。
プーチン大統領の絶大な権力を見れば、現在のロシアもまた専制的であるといわざるを得ませんが、政府の汚職やプーチン政権を批判するアレクセイ・ナワリヌイのような若い政治家も登場しています。
毒殺されかかっても収監されても怯まず、「プーチンは国民を奴隷にしている裸の王様だ」と主張するナワリヌイに続く人物も、今後出てくるかもしれません。
そうした人々によって、これからのロシアは転換期を迎える可能性もあります。