麹町経済研究所のちょっと気の弱いヒラ研究員「末席(ませき)」が、上司や所長に叱咤激励されながらも、経済の現状や経済学について解き明かしていく連載小説。経済学と経営学の違いに迫るシリーズpart3の今回は、いよいよ経済学者が「経済の仕組み」解明に血肉を注いできた真の動機に迫ります。(佐々木一寿)

「まあ、個人の自由意思がなかった中世の時代とは違って、昨今は自由なご時世だし、あとは若い人たちにまかせて…」

 主任の嶋野は、甥の現代っ子ぶりを見て、未来の経済学の発展を嘱望したいと思っているらしいのだが、まるでお見合いの時の父兄のようなコメントになってしまっている。

 まだ大学に入りたての甥であるケンジにとってみれば、それはいかにも迷惑だ、そんな表情をしている。末席は、過度の期待や持ち上げは相手にとっては押し付けにもなりうる*1といういい実験を見せてもらったオブザーバーのような気持ちになりつつ言った。

*1 心理的コスト(:cf.行動経済学など)

「そんな。まだ嶋野主任だって若いじゃないですか」

 嶋野のほうは、まんざらでもない表情を浮かべている。末席は、「まあ、アダム・スミスなんかにくらべればね」と心のなかで付け足した。

 ケンジは麹町経済研究所のオトナたちのそんなやり取りに、だんだんうんざりしてきている。何が目的でいちいちそんなしょうもない掛け合いをする必要があるのだろうか。合理的に考えて、無駄以外の何ものでもないというのに。

 さすがは経済学者の叔父をもつ家系の出だけに、合理的な判断は自然に身についているようだ。

 そのケンジが「ナゼ?」に飢えてきている頃合いを見計らって、末席は本題に入った。

「経済学の目的は資本主義経済の解明だとして、じゃあ経済学者の目標って何なんでしょうね?」