ウクライナのチェルニウツィー大学シュンペーターが『経済発展の理論』を書き上げたウクライナのチェルニウツィー大学(同大ホームページより)

カール・メンガーとJ.A.シュンペーター。どちらも経済学をかじった人なら、絶対知っている名前だろう。しかし、二人がウクライナと深い縁があることは、筆者のような経済学マニアくらいにしか知られていない。新古典派経済学の幕開けとなる「限界革命」を起こしたメンガーは、新聞記者のキャリアをウクライナでスタート。「イノベーション論」で有名なシュンペーターが、この理論を書き上げたのはウクライナの大学だった。二人の青年は彼の地で何を考え、後世に残る経済学を構築したのか。180年前の東欧からたどり、彼らの軌跡を前後編に分けて紹介する。(コラムニスト 坪井賢一)

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ウクライナ・チェルニウツィー
リビウと同様、避難者や支援物資が集まる

 カール・メンガーがウィーン大学を辞した1906年、同大学の学生だったのがイノベーション理論で知られる経済学者、J.A.シュンペーター(1883~1950年)である。

 シュンペーターは卒業後、ドイツやイギリスへ渡り、各国の大学の研究室を経てロンドンの法律事務所に弁護士として勤務。イギリスが支配していたエジプトにも赴任した。エジプトで最初の論文を書き上げ、ハビリタチオン(ドイツ圏教授資格取得試験)を取得するとウィーン大学の講師となり、1909年にチェルノヴィッツ大学の教授になった。

 チェルノヴィッツはドイツ語名で、現在はウクライナ語で「チェルニウツィー」という。チェルニウツィーはウクライナ西部の都市で、キエフから南西へ約400㎞、リビウの東南、約280㎞に位置し、南側のルーマニア国境まで30㎞の至近にある。

 チェルニウツィーもNATO(北大西洋条約機構)加盟国のルーマニアに近く、まだ戦火は及んでいない。ウクライナ国内からの避難者が集まり、リビウと同様、各国からの支援物資の集積地にもなっているようだ。
 
 話を元に戻そう。シュンペーターは1909年9月、チェルノヴィッツ(チェルニウツィー)へ移住し、1911年7月までぴったり2年間、4学期分勤務した。その間に、世界の経済学者、経営学者、そして経営者に対して多大な影響を与えてきた『経済発展の理論』を執筆していた。