2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。大国同士の武力紛争は20世紀前半を彷彿(ほうふつ)させる。本稿ではロシアとウクライナの「因縁の歴史」を解説しつつ、プーチン大統領がなぜ今、強権を発動したのか、世界96カ国で学んだ元外交官がわかりやすく解説する。(著述家 山中俊之)
2人の「ウラジミール」
なぜ因縁の関係になったのか
「ウラジミール」といえば、ロシアのプーチン大統領のファーストネームとして知られる。
歴史を振り返ると、プーチン大統領以上に、著名なウラジミールがいる。10世紀末、現在のウクライナ地域を支配していた、キエフ公国のウラジミール大公だ。
ウラジミール大公は、キエフ公国を強大化した君主である。大公というのは、特に尊敬に値する君主への尊称である。
そしてウラジミール大公は、世界史的に超が付くほど重要な人物である。現在のロシア地域において初めて、キリスト教を国教にしたからだ。
もしウラジミール大公がイスラム教を受容していたら、共産主義も東西冷戦も生じず、まったく違う世界が生まれていたに違いない。
もっとも、寒冷の地においては、イスラム教の「アルコール厳禁」という戒律が無理だったという説もある。「ウオッカが世界史を変えた」ともいえるかもしれない。
話を元に戻そう。筆者がかつてウクライナの首都キエフを訪問した時、街のいたるところにウラジミール大公に関係する史跡があった。一緒に歩いていたウクライナ人が、大公を「民族の誇り」と話していたのも大変印象に残っている。
そもそもキエフを中心とした現在のウクライナ地域は、「ロシアの発祥の地」といっても過言ではない。ここで生まれた文化とこの地で受容されたキリスト教の正教会が、後にモスクワなど現在のロシアの地に広がっていったからだ。
日本に例えるなら、畿内に発祥した中央政権が、武士の世になり、政治的な拠点を関東に移していったことに似ている。
ただし、日本とは異なる、決定的な違いが一つある。