田中角栄さんにツテなしで突撃

 全国ラーメン党を結成してすぐ、勢いに乗って「ラーメン党々大会」で、麺類の母なる国である中国の首都・北京にラーメン屋を出店しようと盛り上がりました。「日中友好はラーメンの割り箸から。割れば二本(日本)折ればペキン(北京)」というテーマでね。

 そこで、日中国交正常化を実現させた元首相の田中角栄さんに、中国との橋渡しをお願いしようということになりました。

 といっても、ツテなんてありません。番号を調べて直接電話をして、秘書の方にあしらわれながらもめげずに、根気よくかけ続けて40日目にやっと、「笑点」のファンだという第一秘書の早坂茂三氏から「2,3分なら面会してもいい」というお許しが出ました。これこそバカに運がいい。

 当時の田中さんは、政界に絶大な力を誇っていました。田中邸の応接室へ通されて、緊張しながら必死で訴えました。

「全国ラーメン党の林家木久蔵と申します。日中国交正常化を果たされた田中先生にお願いに上がったのは、中国残留孤児を救ってくださった中国人民の方々への恩返しの気持ちを込めて、彼の地に日本のラーメン店を開きたく、つきましては中国の食品関係の窓口の方をご紹介いただけないかと」

 そう申し上げたら、いきなり怒り出した。「チミ、なんで私が、中国のラーメン屋の開店の手伝いをしなきゃいけないんですか!」ってね。

「1万人の党員が」と言った途端に

 あの声と顔です。すごい迫力! こっちは震え上がりながら、おずおずと「申し遅れましたが、我が全国ラーメン党は、全国に1万人の党員がおります。党員たちの願いです!」と言ったら、田中角栄さんの態度がコロッとかわりました。

「1万人ということは、1万票ということでしょう! その1万人は、私を応援してくれますか? そういうことは早く言いたまえ! ものごとは数字でしょ、数字!」

 その場ですぐに、中国大使館や日中友好協会に電話してくださって、あっという間に中国進出の足がかりができたんです。あの時は、田中角栄さんの数字に対するリアリストっぷりを目の当たりにしました。

 叱られたときは怖かったですけど、そのあとで田中角栄という人の底知れない「すごさ」を感じましたね。深く感動しました。いろんな方にお会いしてきましたが、あのときのことはけっして忘れられません。