中国への出店計画を阻んだ厚い壁

 ただ、中国にお店を出すために、ラーメン党として8回も北京に行くなどかなりがんばってみたんですけど、実現はしませんでした。いちばんの理由は物価の違いです。

 当時の中国は、みんなまだ人民服を着ていて、労働者の月収は3000円ぐらいだった。もし向こうで1杯350円のラーメンを売ったら、中国の人には1万円以上になっちゃう。

 向こうの食品文化部の人は「1杯13円で売ってくれ」って言うんですけど、生麺の原価が50円以上する。それじゃあ元が取れないと言ったら、中国の小麦を使えばいいという話になった。でも中国も食料不足で困ってるから、やるんだったら土地を提供するから麦を育てればいいと言います。

 ラーメン屋を出すのに麦踏からやらなきゃいけないのかと思って、さすがこの国はスケールがでかいと驚きました。

 あれから長い年月が経って、中国の人たちも豊かになって、最近は日本のカップラーメンが大人気です。ぼくは、いつも時代を早く先取りし過ぎるのかもしれません。

 でも、ぼくのラーメン党があったから、今のラーメンブームへと道が切り開かれた。とにかく前に進んでいくバカのパワーは、ラーメン大使の役割を立派に果たしたんです。

林家木久扇(はやしや・きくおう)
1937(昭和12)年、東京日本橋生まれ。落語家、漫画家、実業家。56年、都立中野工業高等学校(食品化学科)卒業後、食品会社を経て、漫画家・清水崑の書生となる。60年、三代目桂三木助に入門。翌年、三木助没後に八代目林家正蔵門下へ移り、林家木久蔵の名を授かる。69年、日本テレビ系「笑点」のレギュラーメンバーに。73年、林家木久蔵のまま真打ち昇進。82年、横山やすしらと「全国ラーメン党」を結成。92年、落語協会理事に就任。2007年、林家木久扇・二代目木久蔵の親子ダブル襲名を行ない、大きな話題を呼ぶ。10年、落語協会理事を退いて相談役に就任。21年、生家に近く幼少の頃はその看板を模写していた「明治座」で、1年の延期を経て「林家木久扇 芸能生活60周年記念公演」を行なう。「おバカキャラ」で老若男女に愛され、落語、漫画、イラスト、作詞、ラーメンの販売など、常識の枠を超えて幅広く活躍。「バカ」の素晴らしさと底力、そして無限の可能性を世に知らしめている。おもな著書に『昭和下町人情ばなし』(NHK出版)、『バカの天才まくら集』(竹書房)、『イライラしたら豆を買いなさい』(文藝春秋)、『木久扇のチャンバラ大好き人生』(ワイズ出版)など。