バカは強い、バカは愛される、バカは楽しい、バカは得である――。国民的長寿お笑い番組の“黄色い人”として老若男女に大人気、バカの天才である林家木久扇師匠(84)が、バカの素晴らしさとバカの効能を伝える『バカのすすめ』を出版した。
世の中が息苦しさに覆われ、「生きづらさ」という言葉が広がる今こそ、木久扇師匠が波乱の体験や出会いから導き出した「バカの力」「バカになれる大切さ」は、ひときわ大きな意味を持つ。バカという武器に助けられた人生で起きた波乱の出来事や、「あの番組」の共演者&歴代司会者についての愛あふれる考察など、初めて明らかにする秘話もたっぷり。笑いながら読み進むうちに多くの学びがあり、気持ちがどんどん楽になって、人生観も見える景色も変わる一冊。この連載では本書から一部を抜粋し、再編集して特別に公開する。(構成 石原壮一郎)
「笑点」は立川談志さんが作った
早いもんですね。「笑点」に出してもらうようになってから、50年以上の月日が経ちました。ぼくがみなさんに「バカ」と思ってもらえるのは、あの番組のおかげです。「バカ」がトレードマークになったおかげで、どれだけ得をしたかわかりません。
「笑点」という番組は、今は亡き七代目立川談志さんが作りました。初代司会者も談志さんです。高座に落語家が並んでお題に答える「大喜利」は昔からありましたけど、天才の談志さんは、座布団をあげたり取ったりするというルールを考えたんです。それが大当たりしました。
座布団が重なって高くなっていくのは、牢名主のイメージなんです。時代劇なんかを見ると、牢名主は新入りの畳を取り上げて、それを重ねて高い場所で威張ってる。座布団を集めれば集めるほど偉いっていうのは、そこからの発想なんです。
談志さんは落語家なんで、大喜利という場を落語の世界の長屋に見立てた。司会者は大家さんで、メンバーが店子。歌丸さんは小言幸兵衛、小圓遊さんは若旦那で、こん平さんは田舎から出てきた権助とかね。その中で、ぼくは「与太郎」の役を振られたわけです。
「木久蔵は与太郎だよね」
ぼくが「笑点」のレギュラーの大喜利メンバーになったのは、談志さんが1969(昭和44)年に衆議院選挙に立候補するからと司会者を降りた次の週からでした。だけど、その前から若手大喜利に出してもらっていたり、事務所が同じでいろいろアドバイスをもらっていたりしました。「笑点」のスタッフに「木久蔵を出すといいよ」って推薦してくれたのも談志さんです。
レギュラーの大喜利メンバーになってから、談志さんに言われたんです。「木久蔵は与太郎だよね。その線で行ってみな」って。
そう言われたときは、先々どういう展開があるとかぜんぜん考えていませんでしたけど、やり続けてよかったですね。もちろん、嫌だと思ったことは一度もないし、バカとして生きてきた落語家人生にまったく悔いはありません。