社会人になっても「コミュ障」といじられた

「あー、だめだって、この人、コミュ障だから」

社会人になってすぐの頃だったろうか、忘れたけれど、とある飲み会に行ったとき、そんなことを言われて、ふと、小学生の頃の記憶が、鮮明に蘇ってきた。

私は、人と話すのが得意ではない。

ものすごい人見知りで、はじめて会う人と話すときは緊張で喉がカラカラになるし、何を話していいかわからなくなる。話題を必死で探して、頭の中をフル回転させる。その人がどんなにいい人だとわかっていても、緊張を止めることができない。手にじわりと汗をかくし、気持ち悪くて仕方がない。

大勢の飲み会なんかは本当に苦手で、しかも、そのときはどうしてか、私のことを知っている人がほとんどいない状況で飲み会に参加するはめになってしまった。

私以外は、全員知り合い。

いわゆる、アウェイ、というやつだろうか。

その場にいる15人くらいの人たちの、「誰だろう」という視線を浴びた瞬間に、私の脳みそはフリーズしてしまった。

頭が、動かない。

とにかく、動かないのだ。

動かなくて、何をしゃべったらいいのかわからなくなるのだ。

社会人経験をある程度積んだ最近は、はじめての人とも楽しく話せる余裕も出てきたけれど、大学生の頃とか、社会人になりたての頃は、本当に何も話せなかった。

とにかく、その飲み会に行って、席についた瞬間、こう言われたのだ。

「ああ、この人、コミュ障だから、優しくしてあげて」

コミュ、しょう。

頭の中で、そのフレーズを繰り返した。

コミュニケーション障害。

若者言葉の一つとでも言えばいいのだろうか、つまり、コミュニケーションが苦手な人を、いじるときによく使う。

よく、大学やサークルの友達が「俺ってすげーコミュ障だからさ~」などと、自虐的に使ってウケを狙っているところを見かけたことはあるけれど、自分自身がそう言われたのは、はじめてだった。

そうか、私は、コミュ障だったのか。

そう言われた瞬間、ぶわっと、小学生の頃、カースト最底辺にいて、クラスメイトみんなのあざ笑うような、あの目線を浴びたことを思い出した。

それは、私が友達どうしで、漫画雑誌を作った時のことだった。

少女漫画が好きで、大のりぼんっ子で、そして、自分でも漫画家を目指していた私は、自分で漫画を描いて、それを一冊の本にまとめて図書館に置いてもらっていた。

今でいう、「同人誌」のようなものだろうか。

そのときは同人誌なんて言葉もちろん知らなくて、ただ純粋に、漫画が好きで、漫画家になりたくて、友達同士で漫画を描きあい、読み合って「好き」という気持ちを共有したかった。それだけだった。ただ楽しい、という思いでやっていた。

けれども、私たちが漫画を描く、という行為は、からかいの対象だった。
なんだよ、あいつら。漫画なんか描いちゃって。
うわ、いやだー、オタクっていうんだよ、ああいうの。

真面目だねえ。

真面目だね。
さきちゃんは、真面目だから。
川代さんは、いつも真面目で、優等生で、よく先生の話をきいてくれて……。

それはオブラートに包まれた言葉だった。けれども私は、「真面目」というその言葉の裏に、前に出られない人間を、友達がいない人間を、孤独な人間を、見下しあざわらう感情があったことを、11歳の頭で、きちんと認識していた。

「私たち、漫画を創刊しました!」

ただ、好きだと思ったから。
私が楽しいと思ったから。
みんなでつくったのが、とても面白かったから。

誰を傷つけることもない、純粋無垢な思いを、もっと色々な人に知ってもらいたくて、クラスメイトの前で発表した。

そのときにクラス全体に広がった、クスクス、という笑い声。

こそこそと目配せしあい、私たちに聞こえるか聞こえないかの声で、悪口を言う、カースト最上位の女子たち。

ニヤニヤしながら、ネタにする、男子たち。

私は、あのとき、教室の前に立ったときの、あの光景が、今でも忘れることができない。15年近く経った、いまも。

「この人、コミュ障だから」

そう言われた瞬間に、子どもの頃感じた恐怖心が、蘇ってきた。ものすごく鮮明に。

ああ、私、バカにされてる。
私、ネタにされてる。

そう気づいた瞬間、私は私のことを「コミュ障」だとしか思えなくなる。自分は本当にコミュニケーションに障害があって、自分のことをちゃんと話せるような人間ではないんじゃないかと思えてくる。

もともと人見知りだった私の喉は、どんどんカラカラになって、ひたすらにアルコールを飲んで、やり過ごす。

しだいに、もう、コミュ障としていじられるなら、コミュ障でいいんじゃないかと、思えてくる。

だって、「コミュ障じゃないし」と不機嫌になったら、それこそ、「コミュ障」認定されるような、空気の読めない言動じゃないかと、頭のなかで制限がかかってしまうからだ。