私たちは日々、周りからの評価を受けている

とはいえ、今思えば、その人もきっと、私を仲間に入れるためにわざといじってくれたのだろう。

けっして、嫌なタイプの人ではなかった。

悪気がある人ではなかった。

でも、私はこう思うのだ。

人は、人格は、他者からの言葉によってつくられると。

本当は、その人本来の人格や、性格なんかなくて、生まれつき「コミュ障」な人なんか存在しなくて、「コミュ障」と言われるから人は、コミュ障になっていくんじゃないかと、そう思うのだ。

私たちは日々、周りからの評価を受けている。

そしてその評価から、しらずしらずのうちに、影響を受けている。

良くも悪くも、「思い込み」によって、人間は作られる。

評価される自分と、本当の自分とのあいだに乖離があると、気持ちが悪いから、徐々に、その言葉に合わせるようになる。

そうやって、「自分」が沈んでいく。「個」が、沈んでいく。

本来なりたい自分ではなく、周りから「お前はこうだ」と言われる人間に、近づいていく。

「真面目だね」と言われ続けることに耐えられなくなった12歳のある日、私は、漫画家になるという夢を捨てた。

周りからの評価で、自分の夢を、未来を、諦めた人間が、この世の中にどれだけいるのだろうか。

ただ、好きだと思う表現の道を、「オタク」だとか、「真面目」だとか、「コミュ障」だとか、それだけの言葉によって、遮られた人間が、この社会に、どれだけいるのだろうか。

けれども、私は、そうやって私に言葉をあびせてきた人たちを、責める資格はない。

なぜなら、私もまた、しらずしらずのうちに、他者を評価し、傷つけているかもしれないからだ。

私たちは、常に、他者からの、社会からの、評価の中で生きている。

本来なりたい自分として生き続けるのは、たやすいことではない。

ただ、私たちにできるのは、私たちは本来、他者からの評価に左右される必要はない、ということと、私たちは、無意識のうちに、この世のあらゆるものの「評論家」になってしまっているということを、自覚することだけだ。

夜、寝る前。

目をとじると、浮かんでくる光景がある。

小学校の教室。
ホームルーム。
木の机のにおい。

そして、子どもたちの残酷な、嘲笑の視線。

恐怖を感じて、私は今でもときどき、眠れなくなる。

そのたびに、思うのだ。念じるのだ。よく、言い聞かせるのだ。

私自身もまた、あのせせら笑う群衆の一部にいるという事実を、忘れないように、と。

コミュ障はコミュ障と言われるからコミュ障になるのだ 川代紗生(かわしろ・さき)
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。
現在はフリーランスライターとしても活動中。
私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。