空襲に比べたら病気なんて怖くない
戦争が終わってからも、引っ越した先で肩身が狭い思いをしたり、父と母が離婚したり、食べるものがなかったりと、いろんな波が押し寄せてきた。でも、何が起きても「あの空襲のときに比べたら、こんなのは何でもない」っていう思いがいつもあったんです。大病のときも、そうでした。だから落ち込まずに済んだんです。
空襲に比べたら、病気なんて怖いうちに入りません。お医者さんがいるし、食べるものだってある。ぼくも早く治ろうとして、来た仕事は全部受けました。この日はここに行かなきゃいけないから、それまでに身体を戻そうって気持ちにもなりますしね。
それと、一生懸命にガンを叱ってたのも、効果があったんじゃないかと思ってます。喉頭ガンのときも、起きるとすぐベッドの上で、
「おい! ガンよ、お前は胃に入ってきて、今度はノドかよ。なんで俺の身体に入ってくるんだ。勝手に入ってくるな。俺は家族と弟子を合わせて17人養ってるし、やることがいっぱいある! お前と付き合ってるヒマなんかないんだ! 出てってくれ!」
そんなふうに、かすれた声で小言を言ってました。ガンも生きてる組織ですから、きっと伝わるはずです。病院の先生に「毎朝、ガンを叱ってるんです」って言ったら、「そういう前向きな患者さんのガンは治るんです」っておっしゃってました。
ガンに小言を言うなんて、普通の人にはバカバカしいようだけど、ガン細胞も小言を聞いているんです。だから身体も治ってくる。バカのゆるさがガンを追っ払ったっというのは、そういう意味なんです。
林家木久扇(はやしや・きくおう)
1937(昭和12)年、東京日本橋生まれ。落語家、漫画家、実業家。56年、都立中野工業高等学校(食品化学科)卒業後、食品会社を経て、漫画家・清水崑の書生となる。60年、三代目桂三木助に入門。翌年、三木助没後に八代目林家正蔵門下へ移り、林家木久蔵の名を授かる。69年、日本テレビ系「笑点」のレギュラーメンバーに。73年、林家木久蔵のまま真打ち昇進。82年、横山やすしらと「全国ラーメン党」を結成。92年、落語協会理事に就任。2007年、林家木久扇・二代目木久蔵の親子ダブル襲名を行ない、大きな話題を呼ぶ。10年、落語協会理事を退いて相談役に就任。21年、生家に近く幼少の頃はその看板を模写していた「明治座」で、1年の延期を経て「林家木久扇 芸能生活60周年記念公演」を行なう。「おバカキャラ」で老若男女に愛され、落語、漫画、イラスト、作詞、ラーメンの販売など、常識の枠を超えて幅広く活躍。「バカ」の素晴らしさと底力、そして無限の可能性を世に知らしめている。おもな著書に『昭和下町人情ばなし』(NHK出版)、『バカの天才まくら集』(竹書房)、『イライラしたら豆を買いなさい』(文藝春秋)、『木久扇のチャンバラ大好き人生』(ワイズ出版)など。