◇「数値化しえないものを数値化しようとする欲望」

 グレーバーによれば、このような不条理な官僚主義化はネオリベラリズムによって拡大された資本主義が促進する「数値化しえないものを数値化しようとする欲望」の帰結である。

 ネオリベラリズムと古典リベラリズムの重要な差異は、市場の概念であるという。古典リベラリズムにおいて人は交換する存在だったが、ネオリベラリズムでは競争する存在になった。

 組織も個人も競争にさらされることが健全化につながるとみなされるが、しかしそのために日々評価され、監視される。この競争構造の導入のためにはすべてを数量化し、比較対照しなければならない。これがネオリベラリズムの「会計文化」そして「格付け文化」に結びつく。

 しかしケアや愛情、連帯といったものが数量化されると、例えば失業者が保障を得るのにも、徹底的な屈辱を与えられ、保障の取得を断念させるかのような官僚主義的手続きが築かれる羽目になる。結果的にネオリベラリズムが官僚制を招くことになるのだ。

◇BSJ増殖の要因

 BSJはなぜ増殖するのか。グレーバーは「経営封建制」の要素との関連を指摘する。

「封建制」の分配構造は、お上が民衆の生産物を「掠奪」し、自分の取り巻きたちにばらまく、というものだ。

 BSJの事例として挙げられている金融、保険、不動産などの比重が高まった現代社会では、かつての伝統的な製造業やメディアも本業ではなく所有する土地や建物の家賃収入で持ちこたえている状況だ。

「レント」という言葉はもともと「地代」を意味する。土地の使用料、つまりレンタル料だが、モノを売って利益をえるのではなく、不動産や株式からの利益に比重がおかれる現代の資本主義は「レント資本主義」だ。

 また、現代においては「所有」の概念も拡張され、土地だけでなくより抽象的な知的所有権などもレントの領域に入っている。

 徴収された膨大な富は取り巻きにばらまかれ、「一つの過程の中に謎めいた中間的ポスト」を多数作り出すBSJの温床となる。