コロナ禍で働き方や生き方を見直す人が増えている。企業も戦略の変更やアップデートが求められる中、コロナ前に発売され「アフターコロナ」の価値転換を予言した本として話題になっているのが、山口周氏の『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』だ。
本書を読んだ人から「モヤモヤが晴れた!」「今何が起きているかよくわかった!」「生きる指針になった!」という声が続々集まり、私たちがこの先進むべき方向を指し示す「希望の書」として再び注目を集めている。
そこで本記事では、本書より一部を抜粋・再構成し、直感と論理をしなやかに使いこなす2つのヒントをご紹介する。

【山口周・特別講義】<br />直感と論理をしなやかに使い分ける2つのヒントPhoto: Adobe Stock
直感はとってもパワフルなんだ。
僕は、知力よりもパワフルだと思う。
この認識は、僕の仕事に大きな影響を与えてきた。
――スティーブ・ジョブズ
(ウォルター・アイザックソン『スティーブ・ジョブズ1』より)

直感と論理をしなやかに使い分ける

 オールドタイプが頑なに論理的であることを求めようとするのに対して、ニュータイプは状況に応じて論理と直感をしなやかに使い分けます。

 では「論理」と「直感」を使い分ける際の判断の立脚点はあるのでしょうか。最終的には、それこそ「センス=直感」としか言いようがないようにも思いますが、ここでは2つの着眼点を提示しておきましょう。

 1つ目の着眼点は、「役に立つ」と「意味がある」というフレームです。

「役に立つ」と「意味がある」の価値市場(山口周『ニュータイプの時代』)「役に立つ」と「意味がある」の価値市場(山口周『ニュータイプの時代』P113より)

「役に立つ」方向でパフォーマンスを高めたいのであれば、主軸となるのは「論理」です。「役に立つ」ということは効果関数で記述できるということですから、要素を分解した上で数値目標を設定し、目標を達成するための活動計画を実施すればいい、ということになります。

山口周山口 周(やまぐち・しゅう)
独立研究者、著作家、パブリックスピーカー
電通、BCGなどで戦略策定、文化政策、組織開発等に従事。著書に『ニュータイプの時代』『ビジネスの未来』『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』など。慶應義塾大学文学部哲学科、同大学院文学研究科修士課程修了。株式会社中川政七商店社外取締役、株式会社モバイルファクトリー社外取締役。

 一方で「意味がある」方向でパフォーマンスを高めたいのであれば、「論理」は役に立たず、センスに代表される「直感」が決め手となります。どのような「意味」や「ストーリー」を紡ぎだせば顧客に刺さるか、という問いに「論理」は答えを出すことができません。

 あらゆる企業も組織も個人も、最初は「役に立たない×意味がない」という地点からスタートし、どこかに自分の居場所をつくろうとします。

 このとき、始点からどの象限に向かって、どれくらいの傾きで成長させるかを考えるのが、まさに成長戦略だということになるわけですが、このとき「役に立つ」というY軸の方向に成長させるのであれば、相対的に「論理」が重要になり、「意味がある」というX軸の方向に成長させたいのであれば、相対的に「直感」が重要だということになります。

希少なものは「直感」によって生まれる

 さて次に「論理」と「直感」の使い分けに関する着眼点として2つ目に指摘したいのが「希少なものと過剰なもの」という対比です。

 言うまでもなく「希少なもの」の価値は高まり、「過剰なもの」の価値は減ることになります。つまり「論理」と「直感」を比較してみた場合、双方が生み出すものが「過剰なもの」なのか「希少なもの」なのかを考えることが必要だということになります。

 当然のことながら、すでに「過剰なもの」を生み出しても、得られる限界利益は小さなものでしかありません。

 一方で「希少なもの」を生み出すことができれば、そこから大きな豊かさを享受することができます。

 では一体、現在の世界において「何が過剰」で「何が希少」なのでしょうか。対置して整理すれば下の図のようになります。

今の社会で「過剰なもの」と「希少なもの」(山口周『ニュータイプの時代』)今の社会で「過剰なもの」と「希少なもの」(山口周『ニュータイプの時代』P153より)

 このリストを一覧すれば結論は明白です。「過剰なもの」がことごとく「論理と理性」によって生み出されているのに対して、「希少なもの」はことごとく「直感と感性」によって生み出されています。

 つまり、現在の世界において「希少なもの」を生み出そうとするのであれば、「直感と感性」を駆動せざるを得ない、ということです。

今の時代、希少なものと過剰なものは逆転している

 ここで注意してほしいのが、ここに「過剰なもの」として挙げられている項目が、かつてはことごとく「希少なもの」だったということです。

 特に昭和の中期から後期にかけて、世の中には数多くの問題が山積しており、その問題を解決するための「正解」や「モノ」や「利便性」は逆に希少でした。

 だからこそ、これらの「希少なもの」を生み出すための論理やデータを扱える個人や組織には、大きな富がもたらされたわけです。

 しかし今日では、この「希少なもの」と「過剰なもの」の関係は逆転し、かつて希少だったものはことごとく今日、過剰になりつつあります。

 このような世界にあって、相も変わらずに論理だけに主軸をおいて意思決定をはかろうとするオールドタイプの思考様式を続けていれば、すでに過剰になっているものを生み出すことになり、それは必然的に人材と組織のコモディティ化を招くことになります。

(本記事は、『ニュータイプの時代――新時代を生き抜く24の思考・行動様式』より一部を抜粋・再構成したものです)