ロシア・ウクライナ情勢、中国の経済面・軍事面での台頭と台湾・香港をめぐる緊張、トランプ前大統領の動きをめぐるアメリカ政治の動揺、そして日本で選挙期間中に起こった安倍晋三元首相襲撃事件……これらのことを見て、「このままで民主主義は大丈夫か」と不安になる人は、むしろ常識的な感覚を持っていると言えそうです。自由な選挙、非暴力の議論、権力の濫用のない政治と国民すべてに平等な機会がある中での経済発展のような、民主主義がもたらしてくれることを期待されている価値観が崩れかけています。決められない、豊かさをもたらさない延々と議論が続く民主主義でなく、専制的であっても決断力と行動力のある、強いリーダーがいいと考える国も出てきています。それでも民主主義が優れていると言えるのは、なぜなのでしょう? 困難を極める21世紀の民主主義の未来を語るうえで重要なのは、過去の民主主義の歴史を知ることです。民主主義には4000年もの過去の歴史があり、時に崩壊し、そのたびに進化を繰り返しながら進んできました。刊行された『世界でいちばん短くてわかりやすい 民主主義全史』は、現代に続く確かな民主主義の歴史をコンパクトに、わかりやすく解説しています。オーストラリア・シドニー大学の著者、ジョン・キーン教授が、西欧の価値観に偏りすぎないニュートラルなタッチで語る本書は、現代を生きるための知的教養を求める日本人読者にぴったりの一冊です。同書の中から、学びの多いエピソードを紹介します。(訳:岩本正明)
民主主義に敵対する人々
普通選挙権を求める声が大西洋地域全体で高まるなか、その理念に反対する人々は戦々恐々としていた。彼らにとって「民主主義」は邪(よこしま)な単語だった。ニコラ・オレームが翻訳したアリストテレスの『政治学』のフランス語版──シャルル5世によって1370年頃に裁判で利用されるようになり、最終的には1489年に出版された──には、あるイラストが掲載されている。
そのイラストの右側(天使の側)には、君主制、貴族制、名誉政治──名誉に動機づけられた裕福な資産階級による統治──のイメージが、左側(悪魔の側)には、専制、寡頭制、民主主義のイメージが載っている。そのイラストにおいて、民主主義は庶民、兵士、さらし台でうなだれている死にかけの犠牲者によって象徴化されている。
その3世紀後、フランスでジャコバン派がルイ16世を処刑してまもないころ、英国の風刺画家であるジェームズ・ギルレイ(1756~1815年)は、目が突き出て、大声でまくし立て、毛深く、フランスの円形章をつけ、血に染まった短剣をベルトに挟み、オナラをしている庶民として民主主義を描いている。19世紀に入っても、そうしたイラストの形式は変わらなかった。反対者にとって、民主主義とは獣の群れ、悪臭を放ち口汚いボロをまとった庶民、無知と剥(む)き出しの情熱の拡散者、混沌と階級闘争の煽動者を意味した。
ハンガリーの歴史家であるギュラ・シュヴァーツ(1839~1900年)による『アテネの民主主義』のように、民主主義は「白人種」だけのものであるという主張もあふれていた。富の多寡や人種、性別を問わず、政治コミュニティの中で人々は平等に扱われるべきだという訴えは、口汚く罵られた。
長くコーネル大学の学長を務めたアンドリュー・ホワイト(1832~1918年)は、「大半の潜在投票者は、自分にとって最も直接的な関心事にすら興味を抱かず」、普通選挙権は権力を「アイルランドの沼地、ボヘミアの鉱山、イタリアの泥棒の隠れ家などから集められた無知で無学の人々」に与えることになるだろうと警鐘を鳴らしている。
米国大統領を務めたジョン・アダムズのひ孫であるチャールズ・フランシス・アダムズ・ジュニアも、外国人や女性、異なる人種などに対する敵意に満ちた言葉を使い、「アメリカでは普通選挙権とは平たく言えば、無知と悪意による統治を意味するにすぎない。つまり、ヨーロッパ人、特にケルト人、大西洋岸のプロレタリアート、メキシコ湾岸のアフリカ人プロレタリアート、太平洋岸の中国人プロレタリアートを意味するのだ」と述べた。