キヤノン創業者が卒業し
現会長も一時学んだ“深い縁”
大分県の南東端に位置し、リアス式海岸地帯が広がる佐伯(さいき)市。県立佐伯鶴城(かくじょう)高校はスポーツが盛んで、水泳、野球、陸上、体操などで多くの有力選手が育っている。一方、名の知れた企業経営者も輩出している。
キヤノンのトップ経営者で、2006年から10年にかけ日本経済団体連合会の会長を務めた御手洗(みたらい)冨士夫が、佐伯鶴城高校で学んでいる。都立小山台高校に転校し、中央大学に進んだ。
米国勤務が23年と長く、米国仕込みの合理的経営を持ちこんだ。キヤノンは屈指の高収益会社になり、私大出身者としては初めて経団連会長のポストに就いた。
経団連会長を退任後の12年には、76歳にしてキヤノンのトップの座に返り咲いた。16年3月からは会長兼CEO(最高経営責任者)になり、20年に社長の座に2度目の復帰をし、現在は会長兼社長CEOだ。
キヤノンはそもそも佐伯鶴城高校と縁が深い。キヤノンの創業者の一人であり、初代社長の御手洗毅が佐伯鶴城高校の前身である旧制佐伯中学卒の4期生だった。
御手洗毅は北海道大医学部に進学し、上京して産婦人科医になった。ひょんなことから前身の光学会社の経営を任された。医療用機器の開発を推進し、軌道に乗ると「右手にカメラ、左手に事務機」のスローガンを掲げ、キヤノンを急成長させた。御手洗冨士夫は毅のおいだ。