黄金時代の西武を
率いた森祇晶

 織田信長の城下町として栄えた岐阜。街の真ん中には、全国指折りの清流である長良川が流れている。長良川の東側にある県立岐阜高校は、2023年に創立150周年を迎える。飛び抜けた伝統と進学実績を誇っている。

元プロ野球選手、監督の森祇晶氏元プロ野球選手、監督の森祇晶氏 Photo:JIJI

 卒業生で最もポピュラーな人物は、元プロ野球選手、監督の森祇晶(まさあき)だろう。巨人V9時代の正捕手で、西武監督時代は在任9年間でチームを8度のリーグ優勝、6度の日本一に導いた。

 岐阜高校では3年次の1954年、夏の甲子園大会に強打の捕手兼主将として出場したが、1回戦で敗退した。自営業だった実家の経営が苦しくなったため、成績優秀だったが大学進学を諦めて巨人に入団した。プロ野球に「就職したという感覚」だったという。

 巨人時代の20年間の通算打率は0.236だったが、洞察力・記憶力に優れた名捕手に数えられた。コーチ・監督としては、マネジメント能力に定評があった。

 岐阜高校硬式野球部は昭和時代に、春夏とも3度ずつ甲子園に出場した経験を持つ。49年夏の大会では、準優勝している。ただ、78年春のセンバツ大会に出場して以来、甲子園から遠ざかっている。

 後藤寿彦は、慶応大野球部監督、野球日本代表監督を務めた。

 元サッカー日本女子代表で、90年代に活躍した東明有美が岐阜高校OGだ。W杯に2回、また98年のアトランタ五輪にも出場した。

 筑波大学3年の川勝翔太は、岐阜高校から医学群医学類(医学部医学科)に進学し、名門の蹴球部に入った。部員180人を誇る大世帯で、チームは1軍から6軍に分かれる。川勝は2022年7月のトップチームの公式戦で初出場の機会を得たが、医学部在学生が出場したのは初めてだった。

 美容外科医の末武信宏は10年に、アスリートのセカンドキャリア開発やスポーツインストラクターの育成などを図るトップアスリート(名古屋市)を設立し、代表だ。