「地球が私たちの唯一の株主」。米国のアウトドア用品大手、パタゴニアの創業者イヴォン・シュイナード氏はこう宣言し、本人と家族で保有していた30億ドル(約4300億円相当)の株式すべてを環境保護団体などに寄付したと14日、明らかにした。
同社は以前から、売上の1%を自然環境の保護に充てる活動などを続けてきたが、「全株式の譲渡」という前例のない今回の決断は、瞬く間に世界中で話題を呼んでいる。
まさに「地球規模」といえる行動を起こしたシュイナード氏は、自身の信条、パタゴニアが目指す姿を一冊の本にまとめている。そこで本稿では、シュイナード氏の著書『社員をサーフィンに行かせよう パタゴニア経営のすべて』より一部を抜粋・編集し、彼の経営理念のエッセンスをご紹介する。
「口先だけの人」は周囲の目線に気づいていない
子どもになにを残したいかと尋ねれば、「よりよい世界を残してやりたい」とか「自分が子どものころ、手に入らなかったものが手に入るようにしてやりたい」といった答えが返ってくるだろう。だが、そういうバラ色の未来を実現するのに必要な選択をしている人はほとんどいない。
なぜ、だれも行動しないのか。ひとつには、世の中からどういう目で見られているのかがわからないからなのかもしれない。
たとえばSUVのオーナー。大きなSUVが環境によくない車であることはわかっているが、「それほど乗らないし」とか「人や荷物がたくさん運べるから」などとうそぶく。「たかが1台じゃないか」というのもよく聞く言葉だ。周りからすれば、SUVを持っていることだけで問題だったりする。
「実際に行動する人」だけが評価される
私の世代が若かったころ、地球が危ういという認識はなかったし、企業が財務指針と並んで環境指針も必要とする日が来るなどだれも思っていなかった。そんな我々が冬眠状態から目覚めたのは、レイチェル・カーソン著『沈黙の春』(新潮社)の原著が出た1962年である。
いま、米国人のほとんどが環境危機を認識している。だが、行動が伴わなければ周りは評価しない。口先だけならなんとでも言えるからだ。
我々は、いまも、他人を非難してばかりいる。メキシコ人が子どもを産みすぎるとか、中国が硫黄の多い石炭を使っているとか、「政府」が北極野生生物国家保護区で油田を掘ろうとしているとか。
そう言いつつ、自分はSUVを乗り回して「模範的」な米国人らしく買い物と消費に励み、経済の中心が発展途上国に移らないようにしている。
政府も企業も行動していない
政府はむしろ問題の解決を難しくしていたりする。なにしろ、森林伐採には補助金、資源開発やガソリン大食いの自動車には税額控除、コットンの慣行農法など持続可能性のない農業にも補助金と反対の向きに世の中を導いているのだ。そもそも、経済発展には大量消費が不可欠と促進しているのが諸悪の根源だと言える。
法律による規制がない、あるいはその執行を見届ける監視役がいない場合、消費者が反対しないかぎりそういう製品が作られなくなることはない。だが、古木を切り出す会社の社員も、一般人向けにアサルトライフルを作る工員も、「仕事だから」とか「言われたことをしているだけ」という言い訳で責任を逃れることはできない。
正しいことをしていないとき、「お客さまは神様で、我々はその要望をかなえているだけ」という昔ながらの言い訳は、もう、通用しない。
行動するのは、自分から
ある製品が世の中に存在すべきか否かは市場が決めるというのが企業の考え方だが、企業は、製品の製造過程で生じる社会や環境に対する悪影響をなるべく小さくすることにも、製品そのものについても責任を負うべきだと私は思う。
消費者がそう求めれば巨大で大食いのSUVなど作るのをやめると自動車会社は言うが、彼らはSUVを持っていると環境や社会にどれほどの負荷をかけるのか、消費者に教育する啓蒙活動をしようとしない。
人々の行動を変えるのが難しいことは、パタゴニアの駐車場やオフィスを見ればわかる。SUVが何台も並んでいるし、有毒な農薬を使った持続可能性のない繊維で作られたジーンズやシャツを着ている者も少なくない。
こういう製品が悪いことをだれもが得心している場所でさえ、環境にいいからという理由で人の行動を変えるのは難しい。せめて、パタゴニア託児所出身の子どもたちなら違うと期待したいものだ。
(本稿は、『社員をサーフィンに行かせよう パタゴニア経営のすべて』より一部を抜粋・編集したものです)