「地球が私たちの唯一の株主」。米国のアウトドア用品大手、パタゴニアの創業者イヴォン・シュイナード氏はこう宣言し、本人と家族で保有していた30億ドル(約4300億円相当)の株式すべてを環境保護団体などに寄付したと14日、明らかにした。
同社は以前から、売上の1%を自然環境の保護に充てる活動などを続けてきたが、「全株式の譲渡」という前例のない今回の決断は、瞬く間に世界中で話題を呼んでいる。
まさに「地球規模」といえる行動を起こしたシュイナード氏は、自身の信条、パタゴニアが目指す姿を一冊の本にまとめている。そこで本稿では、シュイナード氏の著書『社員をサーフィンに行かせよう パタゴニア経営のすべて』より一部を抜粋・編集し、同氏の日本でのビジネスの成功体験をご紹介する。
日本を研究すれば、現代社会の未来を見通せる
1964年、韓国から帰国する途中に立ち寄って以来、私は、日本の社会に興味を惹かれている。日本人は西洋に学び、西洋の文化や発想を取り入れてきたが、私は逆に、日本について知ろうとしてきた。
日本は時代を先取りした社会で、現代世界に対する順応や対応について常に先を行っている。その日本を研究すれば、過剰なまでの人口、もともと限られた資源が減少していく状況、グローバリズムといった問題に直面する過密現代社会の未来を見通すことができる。
ビジネス書もビジネススクールも、ほぼすべて、外国企業が日本に進出したければ、日本企業との提携か共同事業が不可欠だと教えている。なかでも流通については、商社、銀行、問屋などが複雑に絡み合っているため、外国企業が単独で成功できる可能性はないに等しいとされている。
日本市場への参入に成功した、たった1つの方法
私は、1975年以前という早い時期からシュイナード・イクイップメントの製品を日本で売っており、1981年からはパタゴニアとして日本市場へ参入しようと試みた。まずは、ごく普通に商社や企業と手を組んでみた。これは失敗だった。野球のバットや釣り具といった一般的なスポーツ用品を扱う商社では、ピトンやカラビナなどの販売に力を入れてもらえなかったのだ。
クライミング用パックを売り出したときには提携を試みたが、廉価モデルのデイパックに私の名前とサインを使われたので、提携を解消することになった。製造から卸までをカバーするほかの会社とものちに提携したが、似たような製品を扱うところだったため、商売敵になりかねない我々の日本参入を抑えるほうに注力されてしまった。
そして、1988年、我々は教科書を捨て、我々なりのやり方で日本市場に食いこむことにした。我々のウェアは品質がよく日本において需要があることも、また、価値観も日本の若者に合うこともわかっていた。
だから、完全子会社の現地法人を作って事業を始めたのだ。カリフォルニア式のビジネスを日本でしようというわけだ。従業員は、アウトドアがなにより好きな日本のクライマーやカヤッカーである。女性も管理職に登用したし、妊娠したからといって解雇するようなことはしなかった。
『社員をサーフィンに行かせよう』に紹介したフレックスタイムも導入した。こんなことを独力でしている米国企業などパタゴニアくらいだと日本IBMの人に言われたこともある。
日本ほどビジネスがしやすい国はない
法律は明快、政府は産業界に好意的、税関職員は聡明で実直――私に言わせれば、日本ほどビジネスがしやすい国はない。米国企業が日本市場への参入に苦労するのは教科書に頼るからであり、また、製品の品質が日本の基準に達していないからだと思う。
日本のデパートで、若者がシャツを選んでいるところを見たことがある。彼は、買うシャツとそのサイズを決めたあと、Mサイズの棚にある商品を一つひとつ手に取って縫製を確かめ、一番いいものを買っていった。その若者にとっては、店頭にあったなかで一番いい商品を買ったという満足感が大切だったのだ。
パタゴニアでは、要求が一番厳しい顧客、すなわち日本人に合わせて品質の基準を定めている。同じようにすれば日本でも米国車が売れるようになるのではないだろうか。もちろん、ハンドルも右側にしなければならないだろうが。
(本稿は、『社員をサーフィンに行かせよう パタゴニア経営のすべて』より一部を抜粋・編集したものです)