米国で発売直後から大きな話題を呼び、中国・ドイツ・韓国・ブラジル・ロシア・ベトナム・ロシアなど世界各国にも広がった「学び直し本」の圧倒的ロングセラーシリーズ「Big Fat Notebook」の日本版が刊行された。本村凌二氏(東京大学名誉教授)「人間が経験できるのはせいぜい100年ぐらい。でも、人類の文明史には5000年の経験がつまっている。わかりやすい世界史の学習は、読者の幸運である」、COTEN RADIO(深井龍之介氏 楊睿之氏 樋口聖典氏・ポッドキャスト「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」)「ただ知識を得るだけではない、世界史を見る重要な観点を手に入れられる本! 僕たちも欲しいです」、佐藤優氏(作家)「世界史の全体像がよくわかる。高度な内容をやさしくかみ砕いた本。社会人の世界史の教科書にも最適だ」と絶賛されている。本記事では、全世界700万人が感動した同シリーズの世界史編『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』より、本文の一部を抜粋・紹介します。
ペリクレスの時代
古代ギリシアで最有力だった指導者のひとりが、ペリクレスだ。
前460年ごろ、彼は公務員に給料を支払うなどの改革を実行する。働けばお金をもらえるなんて、当たり前にも思えるけれど、それまで、貧しい市民には、公務について無償で働く余裕なんてなかったのだ。
また、ペリクレスは、市民に対し、政治集会に参加して、重要な問題について投票するよう促した。この考え方は、直接民主政と呼ばれる。
市民が直接、法律、戦争の判断、外交政策について意見を言い、役人を選ぶことができるからだ。ただし、独立した自由な市民と認められていたのは、アテネ人の両親を持つアテネの男性だけだったという。
アテネとスパルタ
アテネとスパルタは、初期のギリシアで栄えたふたつの主な都市国家だけれど、天と地ほどもちがっていた。
アテネの人々は、劇を書き、陶器をつくり、品物を売り、市場で哲学談義に花を咲かせた。10万人といわれる奴隷がいて、他者の犠牲のもとに繁栄(よい暮らし)を手に入れていたのだ。
一方、ギリシア南部の都市国家のひとつだったスパルタは、別の手段で繁栄していた。そう、戦争だ。
スパルタの人々は、どんな犠牲を払ってでも、都市国家のほうが個人より優先されると考えていて、屈強な軍人として一生を送ったという。
スパルタ人が戦争をしているあいだ、土地を耕していたのが、ヘイロータイと呼ばれる奴隷たちだった。
スパルタは、都市国家自体がまるまる陸軍キャンプみたいなもので、男子は7歳になると家を出て、兵舎で暮らしはじめたそうだ。
その後、20歳で兵士になり、60歳で引退するまで、兵士の仕事につく。女性は戦争には参加しなかったけれど、強くて身軽な体をつくり、丈夫な子を生むため、日々運動に励んだという。
そんなスパルタは、前431年、アテネと27年間にわたるペロポネソス戦争を始める。
その結果、前404年、スパルタがアテネに対して勝利をおさめたのだ。
家庭教師はアリストテレス
そのころ、ギリシア北部に存在したのが、マケドニア王国だ。
マケドニア王フィリッポス2世は、ギリシアの哲学者のアリストテレスを、息子アレクサンドロスの家庭教師として招き、ギリシア文学やギリシア哲学を教えさせた。
自分自身をギリシア人と考えていたフィリッポス王は、前359年、マケドニアを統一すると、賄賂や脅迫を通じてギリシアの都市国家を次々と征服していった。
こうして、フィリッポス王はギリシア全体を掌握したけれど、帝国を統治する前に暗殺されてしまう。
アレクサンドロスの台頭
前336年、アレクサンドロスは20歳で彼のあとを継ぐと、ペルシア帝国に侵攻し、はるばるインドまで戦いを広げていく。
そうして、なんと11年間で、ペルシア、エジプト、そしてインダス川の先の土地まで征服してしまったのだ。ところが、そんなアレクサンドロスも、前323年に熱病で死んでしまう。
たぶん、本人も予想しない死に方だっただろう。
野火のごとく広がるギリシア文化
アレクサンドロスの征服によって、ギリシア文化が広い範囲へと普及した。
その功績から、彼はのちにアレクサンドロス大王と呼ばれるようになる。
しかし、彼の死後、アレクサンドロス大王の帝国は、3つの小さな王国に分裂してしまう。
ギリシアとマケドニアがひとつの王国、エジプトがもうひとつの王国、そしてペルシアが3つ目の王国を築いたのだ。
これらの王国のことを、ヘレニズム三国(ヘレニズムとは、アレクサンドロス大王の死後、古代ローマが台頭する前30年まで、ギリシアの文化や歴史が拡大していった時期)という。
(※本原稿は『アメリカの中学生が学んでいる 14歳からの世界史』を抜粋・再編集したものです)