大学教授がもっとも前頭葉が弱いなどと言うと、「いくら何でも言い過ぎでは」と言われそうですが、決して誇張ではありません。一般社会のビジネスパーソンと比べると、違いは明らかです。研究を沈滞化させる要因として挙げられるのが、給与のしくみです。
※本稿は、和田秀樹『50歳からの「脳のトリセツ」』(PHPビジネス新書)の一部を抜粋・編集したものです
偉くなってしまえば論文を書かなくてよくなるという問題
大学教授がもっとも前頭葉が弱いなどと言うと、「いくら何でも言い過ぎでは」と言われそうですが、決して誇張ではありません。
一般社会のビジネスパーソンと比べると、違いは明らかです。どのような職種であれ、ビジネスパーソンは成果を求められます。しかし大学教授は、偉くなりさえすれば成果など必要なくなります。
論文の本数も、自分の研究室のメンバーが書いたものに名を連ねるだけでなんとかなります。まったく書かない教授も珍しくありません。論文の本数が少なかろうとクビの心配はないのですから、定年まで楽に過ごせます。
ちなみに、理化学研究所などの研究者は、発表した論文の本数が評価の対象になります。評価が低ければ、職を失うことにもなります。研究者にとってはハードですが、大学のようなぬるま湯とは大違いです。
なぜ大学では、こうした決まりが設けられていないのでしょうか。それは、ぬるま湯でいてほしい人たちがいるからです。