早とちりや事実誤認といった「思考のエラー」は、誰にでも起こりうる。だからこそ、「情報をいかに正しく認識し、答えを出せるか」で差がつく。そのためには「遅く考える」ことが必要だ――そう説く一冊が、哲学者の植原亮氏による新刊『遅考術』だ。
その根幹となる「遅く考えるスキル」を、読書や物語という観点から読み解き、その有用性を指摘しているのが『物語のカギ』の著者で、書評家の渡辺祐真氏だ。今回は、同氏に「“教養コンテンツ”との接し方」ついて話を伺った。(取材・構成/前田浩弥)

遅考術Photo: Adobe Stock

「本物の教養」を得るために必要なもの

――『遅考術』や『物語のカギ』に共通しているのは、思考方法や物語の読み解き方といったフォーマットがあって初めて、人間は自由に考えたり、読んだりできるという点だと感じました。これはおもしろいところですね。

渡辺祐真さん(以下、渡辺):そうですね。日本の伝統芸能に「守破離」という言葉があります。簡単に言えば「型に入りて、型より出る」という意味です。

つまり、まずは型を知らないと、型を破り、型から離れることができないんですよね。

絵画の鑑賞を例にとってみましょう。絵画にも鑑賞の仕方、見るべきポイントが存在しています。

しかし、そうしたものを知らないと、時間をかけて絵を見たところで、「なんか、リンゴが描いてあるな」「なんか、よくわからないおっさんが子どもを食っているな」で終わってしまいます。

「教養は知っておけばいい」と考える、浅い人に欠けている決定的な視点【渡辺祐真さんインタビュー】

これは決して、自由に思考を広げているわけではない。単に好き勝手に、見えたものの表面から連想しているだけです。絵にも、語学で言うところの文法や構文、語彙のようなものがあって、どういうふうに見るか、どういうところに着目するべきか、といったいろいろなお約束事があります。

そうした鑑賞方法を知っていれば、絵の構図が及ぼす影響、描かれている事物のモチーフ、画家の技法など、着目すべきポイントがたくさん見えてきます。

以上のような枠組みを知らないと、単に「見ただけ」で終わってしまいます。そしてそれは、思考でも同じことなんです。

「ファスト教養」の最大の問題点

――近年は「ファスト教養」への問題意識も高まっています。「思考のフォーマット」によってじっくり考えることを促す、渡辺さんや『遅考術』著者の植原さんのアプローチは、「ファスト教養」とは真逆のものですよね?

渡辺:そうですね。「じっくり考える時間なんてないから、教養と知識がセットになった書籍や動画を手っ取り早く見て、仕事に活かそうぜ」というのがファスト教養です。

私としては、それはそれで意味があることだとは思うんです。ただ、ひとつだけ問題があるなと感じているのは、「ファスト」の部分。時間をかけていないことなんですよね。

まさにファストフードのように、パッと摂取して仕事で役立てようという発想が根底にあるわけですけど、こうした過程は「システム1」(直観)で処理されてしまうものなんですよ。

――「速く考える」ほうの思考ですね。

渡辺:はい。ファスト教養で推奨されている芸術鑑賞は、絵の名前や画家の名前、そしてその画家がどういう時代に生まれてどういうことを成し遂げたのか、プラス、何かちょっとおもしろいエピソード、というものです。

たとえば「この画家は時の権力者とこういう関係がありました」「最近でもオークションで○億円で落札されました」といったような。

そしてその知識を、ビジネスの場で「この画家のあの作品、○億円で落札されたんですよ」と、ちょっとしたスパイスとしてパッと話題に出そうと。

確かに役立つことはあるかもしれません。でもこれは、情報の出し入れをしているだけで、自分を深める体験にはなっていないんですよね。

――そもそも教養とは、ビジネスのためにあるわけではなく、自分という人間を深めるためにあるのですものね。

渡辺:そうですね。鶴見俊輔という思想家は、大学に行って教養を身につけるのではなく、教養を身につけた人が大学に行くべきと語っています。

一般的には、大学とは教養を身につけるために行く場所と考えられていると思います。鶴見の考え方は全くの反対です。

鶴見がなぜそのように考えたのか。

それは、鶴見が、「いろいろなものを楽しむための心構えや枠組み」を教養ととらえていたからです。

大学では様々な知識や学問を学ぶ場所ですから、そうしたものを楽しめるだけの心のゆとりがなくてはなりません。鶴見にとっては、そうした下地こそが教養でした。

鶴見の言う教養は、パッと知識を得てやろうという効率重視の考え方とは真っ向から対立するものです。

対象とじっくり向き合うだけの知識や態度を有して、じっくりと向き合う。これまでの言葉に言い換えれば、「システム2」(熟慮)のフォーマットを使って、いかに色々なことを楽しめるか。

人としての深さを育むポイントは、ここにあると考えています。

渡辺祐真(わたなべ・すけざね)
1992年生まれ。東京都出身。東京のゲーム会社でシナリオライターとして勤務する傍ら、2021年から文筆家、書評家、書評系YouTuberとして活動。テレビやラジオなどの各種メディア出演、トークイベント、書店でのブックフェア、学校や企業での講演会なども手掛ける。
毎日新聞文芸時評担当(2022年4月~)。
著書に『物語のカギ』(笠間書院)。編著に『季刊アンソロジスト』(田畑書店)。連載に『スピン/spin』(河出書房新社)など。