11月10日に行われた中村俊輔の引退会見11月10日に行われた中村俊輔の引退会見。終始笑顔の会見となった(筆者撮影)

26年間に及ぶ現役に終止符を打った希代の司令塔、中村俊輔が10日に横浜市内のホテルで引退会見に臨んだ。冒頭で「明るく、楽しい時間にしたい」と自ら宣言したように、完全燃焼した俊輔に涙はなかった。その中でちょっとした驚きを伴ったのは、最も印象に残った試合として横浜F・マリノス時代の黒星を挙げた点だ。理由には俊輔が貫き通した人生訓と、カタールW杯を控える森保ジャパン、そして未来を担うホープたちへの熱いエールが凝縮されている。(ノンフィクションライター 藤江直人)

希代のファンタジスタが
引退会見で語った「最も印象に残っている試合」

 上下のスーツとネクタイを濃紺でそろえたひな壇の中村俊輔が、ちょっとだけ答えに窮した。プロサッカー選手として出場した試合で、最も印象に残るものを一つ挙げてほしいと問われた時だ。

「印象……、印象……」

 国内外で延べ七つのクラブに所属した俊輔は、日本代表戦を合わせて、26年間の現役生活で868試合に出場している。その中から必死に記憶の糸をたどっていたのだろうか。俊輔はつぶやくように「印象」を2度繰り返し、大きく息をつきながら「あーっ」と答えを見つけた。

 一生に一度、選ばれた選手だけが臨める引退記者会見。印象に残る一戦は何かと問われれば、代表を含めて通算で158回もゴールネットを揺らした試合の一つになると誰もが思った。

 例えばスコットランドの名門セルティックに加入して2年目の2006~07シーズン。自身が初めて臨んだ最高峰にして憧れの舞台、UEFAチャンピオンズリーグで今も伝説として語り継がれる直接FKをたたき込んだ、マンチェスター・ユナイテッド(イングランド)との一戦がある。

 アウェー、ホームともに相手の守護神、オランダ代表の名手エドウィン・ファン・デル・サールから俊輔は直接FKを決めた。しかも後者ではセルティックを勝利に、そして現行方式のチャンピオンズリーグでは初めてとなる決勝トーナメント進出に導いた。

 ゴールに向かって右側、約30メートルの距離から放たれ、壁の上を超えてから急降下してゴール右上のここしかないスポットを射抜く。俊輔の引退に寄せて、チャンピオンズリーグの日本語版公式ツイッター(@UCLJapan)は芸術的な一撃の映像を再投稿。その上でこうつぶやいた。

「素晴らしい思い出をありがとう! 日本のファンタジスタ」

 しかし、俊輔が選んだのはセルティック時代でも、日本代表での試合でもなかった。横浜F・マリノスに復帰して2シーズン目の11年8月4日。日立柏サッカー場で行われ、マリノスが0-2で完敗するとともに、このシーズンで優勝する柏レイソルに首位を明け渡した一戦だった。

 右ポストを直撃した後半35分の直接FKを含めて、柏戦で俊輔が放ったシュートはマリノスで最多の3本を数えた。ゴールを奪えなかっただけでなく、後半開始早々に反スポーツ的行為でイエローカードをもらい、リードされたまま同44分にはベンチへ下がっている。

 その柏戦がなぜ最も印象に残っているのか。俊輔は静かに言葉を紡ぎ始めた。