日本サッカー史上で眩い輝きを放つ司令塔、中村俊輔が23年目を迎えたプロ人生で集大成を誓っている。昨秋には「引退」の二文字が脳裏をかすめたと打ち明けた稀代のレフティーは、このオフにジュビロ磐田との契約を更新。日本代表時代からの象徴でもある「10番」を背負い、6月にはJ1最年長の41歳になる2019シーズン。完全燃焼を目指す決意を固めた軌跡をたどると、畏敬の念を込めて「師匠」と呼ぶレジェンドの引退がターニングポイントになっていた。(ノンフィクションライター 藤江直人)
相次ぐ肉離れ、手術で戦線離脱
「引退」も脳裏に浮かんだ昨シーズン
2つ年上のGK楢崎正剛、同じ1978年生まれで早生まれのDF中澤佑二が、今年に入ってから相次いでスパイクを脱いだ。ジュビロ磐田との契約を更新し、23年目のプロ人生に挑むMF中村俊輔は、気がつけばJ1の現役最年長選手として2019シーズンを迎える。
もっとも、自らの代名詞となって久しい「黄金の左足」を駆使する、日本サッカー界の歴史にその名を残す稀代の司令塔の脳裏にも「引退」の二文字が浮かんでは消えた時期があった。
「手術をしたとはいえ、これだけ長くかかりすぎたことには自分でもびっくりしている。ちょっと落胆して、メンタルが揺らいだ時期もあった。そろそろ引退、みたいなものがチラチラと見えてくるのも、こんな感じなのかなと」
ファンやサポーターを驚かせる言葉を残したのは昨年12月8日。東京ヴェルディとのJ1参入プレーオフ決定戦を2-0で危なげなく制し、J1残留を決めた直後のヤマハスタジアム磐田だった。この試合で俊輔は後半アディショナルタイムから投入され、一度だけボールにタッチしていた。
昨シーズンは開幕前から、右足首に巣食った古傷とも戦ってきた。痛む軸足を無意識のうちにかばったことで、左足にも不必要な負荷がかかってしまったのか。3月に左大腿二頭筋、4月には左ヒラメ筋に相次いで肉離れを起こし、戦線離脱を余儀なくされた。
ワールドカップ・ロシア大会の開催に伴い、J1が長期の中断期間に入っていた6月。故障禍の原因となっていた右足首の不安を取り除き、万全のコンディションで後半戦へ臨むために、俊輔は患部にメスを入れる決断を下す。
賭けにも映ったシーズン途中の手術は成功し、全体練習へ合流できるまでに6週間を要すると診断された。しかし、期待に反して復帰は9月にまでずれ込み、その間に勝ち星から遠ざかったジュビロもJ1の残留争いに巻き込まれてしまった。