ラテン語こそ世界最高の教養である――。東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士になったハン・ドンイル氏による「ラテン語の授業」が注目を集めている。同氏による世界的ベストセラー『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』(ハン・ドンイル著、本村凌二監訳、岡崎暢子訳)は、ラテン語という古い言葉を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済のルーツを解き明かしている。韓国では100刷を超えるロングセラーとなっており、「世界を見る視野が広くなった」「思考がより深くなった」「生きる勇気が湧いてきた」と絶賛の声が集まっている。本稿では、本書より内容の一部を特別に公開する。

「毎日がつらい」絶望するあなたを変える、たった1つの考え方Photo: Adobe Stock

苦しみの中で幸せを見出す方法

 私たちは、「平穏で安定した人生でなければ自分のやりたいことはできない」と思いがちです。しかしこれは間違いです。

「今は忙しいから、仕事(勉強)は少し休んで、後で落ち着いたらそのとき本気でやるつもりだ」などと言う人がいますが、落ち着いた時間などそうそう訪れません。

 いや、もしかしたら一生訪れないかもしれません。

「落ち着いた時間」ができたときには……

 この先いつか時間ができたとしても、そのときはもう仕事も勉強も必要ない人生になっていることだってあり得ます。

 人間という存在は、生まれたときから悩みや不安、緊張を抱えながら生きていくようにできているのかもしれません。そんな日々の中に平穏と幸せを見いだすのが人生なのでしょうね。

 先日、あるテレビ番組で、ふもとから高い山の中腹にあるレストランまで、数年間毎日欠かさず物資を運んでいる人の話を見ました。自分の体重よりずっと重い荷物を背負いながら、ハイキング客を横目に軽々と登っていくその姿に感嘆しました。彼がその仕事を根気強くやり続けて身につけた苦労の賜物でしょう。それを体得するまでの過酷でつらい時間を、立派に耐え抜いた証拠です。

 結局のところ、苦しみを感じるのは自分が生きているという証しです。生きているから苦しみを感じるのに、その苦しみがないようにと願うのは矛盾というものです。

 命があるからこそ避けられない苦しみの中で、私たちは学び、働きながら生きているのです。

(本原稿は、ハン・ドンイル著『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』を編集・抜粋したものです)