
同居人がいるのに、なぜか誰にも看取られない。いま日本で、そんな最期が増えている。実は孤立死の原因は、家族の有無ではない。高齢化が進む今、誰もが孤立死する時代が目前に迫っている。※本稿は、小谷みどり『〈ひとり死〉時代の死生観「一人称の死」とどう向き合うか』(朝日選書、朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
同じ家に家族が住んでいても
最期の瞬間はひとり孤独
ぽっくり死にたいという人は多いのに、孤立死は怖い、という人も日本には多い。自宅でぽっくり死んだら、息絶える瞬間に誰もいないことは十分あり得るのに、だ。
ひとり暮らしの人だけの問題ではない。同居する家族がいたとしても、ひとりになる時間がまったくないということは考えにくい。ひとりになった時間にぽっくり死ぬことだって考えられる。
私の知人は、ある休日に仕事仲間とゴルフに出かけ、夕方になって帰宅したら、お風呂の中で妻が亡くなっているのを発見するという経験をした。
妻はまだ30代だったが、入浴中に心臓が急に止まったそうだ。泊りがけの出張だったら、妻の遺体はすぐには発見されなかっただろう。
家の中にいても、家族がお風呂の中で亡くなっているのを発見するのが遅れるケースはよくある。いちいち、家族がお風呂に入っている時間をストップウォッチで計っているわけではないので、なかなかお風呂から出てこなくても、「今日は長湯だなあ」ぐらいにしか思わないだろう。
別の知人家族は父親との3世代同居だったが、父親が夜中にベッドで亡くなっているのを発見したのは翌日の夕方だったという。