「経営観は、人生観・世界観とともにリベラルアーツ(自由に生きる技術)を形成する、われわれ人間が確立すべき概念である。経営観を確立することができれば、自身の心に強固な羅針盤が育まれ、一切針路に惑い見失うことなく、人生や経営を全うすることが可能になる」。書籍『最高経営責任者(CEO)の経営観』の著者、株式会社TS&Co.創業者兼代表取締役最高経営責任者(CEO)の澤 拓磨氏はそう語る。本書は著者が考える経営観の解説とその実践についてまとめた一冊だ。
私の経営の定義
経営とは何か? ――この深遠な問いに対して、多くの有識者や実務家がそれぞれの経営観に基づいて解を述べているが、少なくとも私の知り得る限り、唯一絶対の解は存在しない。読者の皆様は、経営とは何か、という問いに対しどのような解をお持ちだろうか。
私は、「経営=結果を出し続ける行動」と定義している。具体的には、人生観・世界観と整合した経営観を確立し、実践することにより、結果(金銭などの物理的実体、営業目標を達成するなどの現実的実体など)を導出し、理想を現実化する営みである。
私の経営の定義を述べたが、次いで一般的な経営の定義についても触れるとともに、私がこの経営の定義に至った背景について述べる。
一般的な経営の定義
経営の一般的な定義からは、経営の実体をつかむことは難しい。経営学の教科書を開いても、経営とは何か、その実体を正確にとらえ定義しているものは少ない。そこで、「経営」という単語の成り立ちと語義、「経営」という単語が日本に浸透した背景という3つの視点から、経営の実体にアプローチした。
まず1つ目の視点として、経営という単語の成り立ちから経営の定義を探っていく。
もともと、経営の「経」という漢字は古代中国において織物(おりもの)を意識してつくられた言葉であるという。織物では、縦糸のことを「経糸(たていと)」、横糸のことを「緯糸(よこいと)」と呼び、縦糸に何のために何を織ろうとするのかといった意味合いを持たせたことから、現在われわれは「経」を正しい筋道や道理、方向性といった定義でとらえることとなった。
一方の「営」という漢字はかがり火の形を表したが、そこから派生して軍隊や宮殿などの仕事にいそしむことを意味した。後代になり、「営」とは、軍隊や宮殿などの仕事のみならず仕事全般にいそしみ務めること、といった定義でとらえられることとなった。
この2つの漢字の意味合いをそのまま組み合わせると、「正しい筋道や道理、方向性にいそしみ務めること」が経営であると定義できる。転じて、経営者とは、正しい筋道や道理、方向性にいそしみ務める者であるということだ。
2つの漢字が合わさった経営という言葉は、中国でも古くから使われていた。中国最古の詩集である『詩経』の中にも登場し、司馬遷の『史記』にも「天下を経営せん」という記述があるということから、一定の歴史をもつ定義といえそうである。