撮影に応じる日航の稲盛会長ら日本航空の社長交代会見に出席した稲盛和夫氏(中央)と植木義晴氏(右)、大西賢氏(2012年1月撮影) Photo:JIJI

「経営の神様」と称された稲盛和夫氏の「最後の愛(まな)弟子」とも呼ばれるのが、日本航空(JAL)の会長である植木義晴氏だ。実はこの植木氏、同窓会で「よくぞ監獄にも入らずに…」と回想されるほど、高校時代は相当のワルだったという。その人物が、JALのパイロットになり、稲盛氏に見いだされて経営幹部となって、ついには稲盛氏の後継者となった。今回は、植木氏が「稲盛氏の最後の愛弟子」と評されるまでに至ったストーリーをご紹介したい。(イトモス研究所所長 小倉健一)

JALパイロットから初めて社長になった
「稲盛和夫氏の最後の愛弟子」

 2010年に経営破綻した日本航空(JAL)の再建を担い、JALの会長に就任した稲盛和夫氏。稲盛会長の下でJALの業績は急回復し、破綻からわずか2年8カ月で再上場を果たした。

 そのように再建を大成功させた稲盛氏だが、事実上の後継として指名したのが、植木義晴氏だ。稲盛氏はJALの会長就任当時、大西賢氏を社長に指名した。そして、植木氏を社長に選んだタイミングで大西氏を会長に就任させている。

 経営の実態を考えたときに、「稲盛会長、大西社長」時代のJALは、稲盛氏が実際上の経営権を持っていた。そして、「大西会長、植木社長」時代のJALは植木氏が経営権を持っていたことから、植木氏を稲盛氏の後継だと私は表記している。

 植木氏は、さまざまなメディアで同じエピソードを語っている。ダイヤモンド・オンライン『「人命と利益どちらが大事か」稲盛和夫氏がJAL再建中に放った納得の回答』に詳しく述べたが、植木氏が「安全を優先すればコストがかかる」「コストを削れば安全が損なわれる」と考えていた。ところが、稲盛氏は「安全も利益も追うことは可能だ」と植木氏を諭したのである。

 植木氏はその後も稲盛氏とさまざまな経営課題について議論し、稲盛氏の経営哲学に傾倒していくことになる。実はこの植木氏、高校時代は相当のワルだったようだ。その人物が、JALのパイロットになり、稲盛氏に見いだされて経営幹部となって、稲盛氏の後継者となった。

 今回は、そんな植木氏が「稲盛氏の最後の愛弟子」と評されるまでに至ったストーリーをご紹介したい。