経営という単語が日本に浸透した背景

 次に、2つ目の視点として、経営という単語の語義から経営の定義を探っていく。

『広辞苑』(岩波書店)を見てみよう。そこにはこうある。

(1)力を尽くして物事を営むこと。工夫を凝らして建物などを造ること

(2)あれこれと世話や準備をすること。忙しく奔走すること

(3)継続的・計画的に事業を遂行すること。特に、会社・商業など経済的活動を運営すること。また、そのための組織

 このうち、(3)がいわゆる企業経営という場合の経営の意味に該当するのだろうが、(1)や(2)も含めて良さそうだ。経営者は力を尽くし、工夫を凝らし、ときにあれこれ世話や準備をし、忙しく奔走しなければならないのだから。

 最後に3つ目の視点として、経営という単語が日本に浸透した背景から経営の定義を探る。

 日本では、平安時代から経営という単語が「支度や準備に奔走する」という意味で使われていた。そこから時代が下り、明治維新によって、文明開化、殖産興業、近代企業育成という方針のもと、欧米の会社制度・洋式簿記・教育制度の導入などが始まったことを契機に、欧米で使用されていたManagement(マネジメント)の訳語として「経営」という単語が当てられた(以上、下谷政弘『経済学用語考』日本経済評論社)。

 Managementの元になるManageという動詞の語源はイタリア語で「馬を調教する」こと、言い換えれば「馬を手で御する」ことを意味するmaneggiare(マネジャーレ)という単語であり、そこから派生して、経営とは「扱いにくい人や物や出来事をうまく取り扱うこと」と定義された。

 以上、3つの視点から経営の実体にアプローチした。つまりは、「組織が正しい筋道や道理、方向性に向け、人や物や出来事をうまく取り扱うこと」。洋の東西を問わず、それが経営の一般的な定義だといっていいだろう。私は、こうした経営の一般的な定義をあまたインプットし、15年の経営実践期間を通じて絶えず「経営とは何か」と自問自答し続けた結果、「経営=結果を出し続ける行動」という定義を得るに至ったのである。