ラテン語こそ世界最高の教養である――。超難関試験を突破し、東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士になったハン・ドンイル氏による「ラテン語の授業」が注目を集めている。同氏による世界的ベストセラー『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』(ハン・ドンイル著、本村凌二監訳、岡崎暢子訳)は、ラテン語という古い言葉を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済のルーツを解き明かしている。韓国では100刷を超えるロングセラーとなっており、「世界を見る視野が広くなった」「思考がより深くなった」と絶賛の声が集まっている。本稿では、本書より内容の一部を特別に公開する。

「お金のために我慢して働く」と幸せになれない、残酷なメカニズムPhoto: Adobe Stock

今日を我慢し、節制するのは美徳なのか?

 私たちはよりよい未来のために、今日を我慢し節制して生きることが美徳だと考えています。未来志向の姿勢は称賛されますよね。

 目先の小さな利益を得るよりも、遠い未来を見つめて黙々と前進する人たちの人生の物語は、素晴らしく美しいものです。しかし、若者のことを考えると、明日のために今日を犠牲にして生きていく姿勢だけが正解なのだろうかという疑問も生じます。

 わが国の社会は、あまりにも大きなものを若者に要求しています。今の韓国社会は、若者に対し、今しか味わえない楽しみや快適さを諦めさせるどころか、青春そのものを犠牲にしろと強要しているようです。

「いつかお金を稼いだら」が口グセになっていませんか?

 これは若者に限った話ではありません。実は親の世代も同じです。子どもの未来のために自分の今を犠牲にし、「いつかお金を稼いだら」という思いで今日を我慢してきました。さらに老人になってからも気の休まることはなく、その苦しさは若者や中年のそれなど比ではありません。

 すべてが絡み合い、つながっていて悪循環が形成されてしまっています。これでは誰も幸せになれません。

「学生のレポート」から見えてくること

 そして、もう1つ考えておかなければならないのは、人々が明日のために今日を我慢するのと同じくらい、過去にも縛られているということです。

 学生たちに「私の人生について」というテーマでレポートを出すよう求めると、その文章のほとんどは過去時制で書かれており、現在時制はごくわずか、未来時制はもっと少なかったのです。きっと過ぎた日々には書くことが多いけど、明日は不確かだし今日の話も曖昧であると、そんな考えが反映されたのでしょうね。

いまこのときが、一番幸せでなければならない時間

 人間は今日を生きると言いますが、ひょっとしたら実は、一瞬たりとも現在を生きていないのかもしれません。過ぎた過去の一時を懐かしみ、そのときと今日を比較するのです。未来を夢見て今日を消耗するのです。基準をそのときに据えて今日を語ります。

 明日の幸せのために今日を不幸に生きることも、過去にとらわれて今日を見ないことも、どちらも幸せとは程遠いように思いませんか?

 10代の青少年も、20代の青年にも、40代の中年にも、70代の老人も、どの世代にとっても今日のこの瞬間が人生で一番美しいときであり、一番幸せでなければならない時間なのです。

(本原稿は、ハン・ドンイル著『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』を編集・抜粋したものです)