「リスキリング」が昨年の流行語大賞にノミネートされました。企業の人的資本戦略の一環として、またビジネスパーソンとして、新たなスキルを体得し激しい時代の移り変わりにキャッチアップしていくことは確かに喫緊の課題と言えるでしょう。
今までにないアプローチと深さの解説で絶大な評価を得ている『新解釈コーポレートファイナンス理論~「企業価値を拡大すべき」って本当ですか?』の著者・宮川壽夫教授に、コーポレートファイナンスに代表される「テクニカルスキル」の重要性を解説してもらいます。
昔から会社に入ったら自ら勉強しないとやっていけなかった
2022年10月に行われた岸田首相の所信表明演説でリスキリングの支援に5年で1兆円を投じるとの説明を聞いた。岸田首相はなぜか言葉の切り方に時々ヘンなところがあるので、異常発生した野生のリスの駆除(キリング)に大変な予算がかかるんだなと思った人もいるかもしれない(おそらくいないと思うけど)。しかし、そうではない。経済産業省の資料を読むとリスキリングは「新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得させること」と定義されている。
似た言葉に「リカレント」というものがあるが、リカレントは「働く→学ぶ→働く」のサイクルを回し続けるありようのことで、新しいことを学ぶために「職を離れる」ことが前提になっており、リスキリングとは区別されている。また、リスキリングはビジネスパーソンが自ら個人で自由に学ぶのではなく企業がそのような仕組みを作って「学ばせる」ところが強調される。
このように社会人がスキルを身につけることに注目が集まっており、いかにも最近の社会人は勉強好きであるかのように思われている。しかし、それは最近注目が集まっているだけのことで私の経験からいうと昔から会社に入ったら自ら勉強しないとやっていけなかった。今に始まったことではない。さすがに政府が予算を組んで勉強させるという事態はなかったが、実は経営学の分野では社会人が持つべきスキルに関する研究も古くから行われてきた。
それぞれのスキルは並列せず階層化する
ビジネスパーソンのスキルというとカッツモデルが思い出される。ロバート・カッツがこのモデルを提唱したのは1955年のHarvard Business Reviewなのでずいぶん昔の話だ(※)。もはや古典の風格が漂っている。
カッツはマネジメントに必要なスキルが三つあると説く。第一にテクニカルスキル。これは特定の分野で業務を遂行するために必要な専門知識や技術のことで、このスキルを身につけるためには専門書の1ページから読むという地味な努力が必要となる。第二にヒューマンスキル。組織で業務を遂行するための対人関係管理能力とされているが、いわゆるコミュニケーション能力のことだ。そして第三にくるコンセプチュアルスキルは概念化スキルと呼ばれていて、ものごとを包括的に理解し、問題の本質をとらえて抽象化・普遍化する能力のことをいう。
たとえば企業の法務部に配属された人はそもそも会社法を知らないと仕事にならない。会社法のどこにどういうことが書かれているかを理解していることがテクニカルスキルだ。そして、この法律にはどのような意味があって、当社にとって何をする必要があるかを会議で報告して説得する能力がヒューマンスキルといったところになるだろう。「アイツの話ってわかりやすいよね」とか「彼に言われると妙に説得力がある」なんて感じる人がだいたい社内にはいるものだ。それはその人のヒューマンスキルによる。さらに、「条文にはいろんなことが書かれているけど、要するに今当社として優先しなければならないのはここだぞ」とスパッと言い当てる能力、これがいわばコンセプチュアルスキルだ。
この三つのスキルについて多くの人はだいたい納得できるだろう。しかし、カッツの慧眼はこの三つのスキルがそれぞれ並列したり選択したりできるものではなく階層構造になっていると言ったところにある。つまり、テクニカルスキルがない人はヒューマンスキルを持つことはできないし、テクニカルスキルとヒューマンスキルを持たない人がいきなりコンセプチュアルスキルを持つことはあり得ない。
カッツに言わせれば、会社法を読んだことないのに(テクニカルスキルがないのに)やたらと話が面白かったり、表現がうまいという人はヒューマンスキルがあるわけではない。それは単に飲み会を盛り上げるのが得意な人に過ぎない。また、会社法を読んだこともないし、それを他人に説明することもできないのに「要するに大事なのはここなんだよ」と言う人の能力をコンセプチュアルスキルとは呼ばない。ただ単に妄想の激しい人でしかない、ということだ(周りを見渡すと会社の中にはわりとそういう人ってたくさんいませんか?)。
企業価値拡大の文脈に戦略論を置き換える
コーポレートファイナンス理論の教科書を読むという地味な勉強はまさにテクニカルスキルを積むことになる。カッツ流に言えば、逆にこの努力を迂回して「企業価値とはなにか」を語っても説得力は発揮できないし、「要するに企業価値の拡大に大事なのはここなんだよ」という解答を提示することはできない。なかなか厳しい。
前回のコラム【リンク追記】では、企業は株主から調達した資金を資本コストに応じた事業に投資し、資本コストに応じた成果を株主に配分するという「調達→投資→配分」の仕組みを企業の根本的な生命活動だと説明した。コーポレートファイナンス理論に関するテクニカルスキルを持つ人は、企業が資本コストに応じた行動を取っているなら企業価値の拡大も毀損も起きないことにまず気づくかもしれない。
これは企業価値が完全市場(税金や取引費用や情報の非対称性など摩擦のない架空の市場)という仮定の中で最初は定義されるからだ。現実には、企業は資本コストを上回るキャッシュを獲得できる事業に投資し続けることによって価値を生むことになる。しかし、コーポレートファイナンス理論の教科書では一体どのような事業が価値を生む事業なのか具体的には説明されない。
そこで、拙著では経営戦略論の概念を動員して他社との差別化やイノベーションによる競争優位が完全市場を崩して企業に資本コストを上回るキャッシュをもたらすと説いた。一方、経営戦略論では差別化やイノベーションが競争優位の源泉になるとは説くが、それが具体的にどれくらいの価値に帰結するかという経済性については説明されない。
だから、企業価値という概念を正確に把握し、それを拡大するためには経営戦略論の競争優位が生み出される仕組みを経験とともに深く考えることが必要となる。つまり、企業価値の概念や戦略論といったテクニカルスキルを身につけておかないと実務には応用できない、ということだ。
テクニカルスキルが土台にないと応用が利かない
カッツモデルを少し拡大的に解釈すると、核になる基礎理論をきちんと学ばずにただ人の話をチョロッと聞いて自分が10年前から知っているようなフリを繰り返していたら(実を言うと私は昔からそういうのがかなり得意。もちろん現在は職業柄どの分野でもきちんと文献はあたっていますけど)いつまでたっても実践に必要な真理や普遍性と結びつかないということだと思う。となるとテクニカルスキルはスキルと呼ぶより、経験の土台となる知の体系というイメージだ。ヒューマンスキルやコンセプチュアルスキルが問題解決に役立つスキルとすれば、テクニカルスキルは「なぜそのような形で問題が生じているのか」という根本にある文脈や起源を探り当てて問い直すような知の体系といえるだろう。
核になる理論をきちんと勉強して知の体系を獲得していれば、目の前にある現象に置き直して考えたり、あるいは異なる文脈に置き換えたりすることが可能になる。しかし、勉強したことがない人(テクニカルスキルがない人)にはこの照合ができない。自分の意思決定に至った経緯を言葉で説明できないから受験数学の問題を解いているのと同じになってしまう。つまり応用が利かない。
ただし、そういう知の体系は個人個人の自発的で創発的な動機や好奇心に裏付けられるものだ。リスキリング、もちろん悪いことではない。しかし「リスキリングやらなきゃ!」とか「御社、リスキリングどうしてます?」とか、はたまたリスキリング推進室を新たに設置する企業が出てきたり、リスキリングが上からの押し付けになるとちょっとイヤだなと思う。次回は「配当が消えている」という意外な事実をモチーフに、社会人の学びに対する構え方についてお話をしたい。
(※)Katz,R.L. ,‘Skills of effective administrator’ , Harvard Business Review, 1955