「オンライン参加」では
どうしていけないのか?

 もう一つ「手割り」を分析すべきなのは、オンライン登院の可否だ。なぜ彼が国会にオンライン参加できなかったのか、それは適切なのか、という問題だ。

 報道によるとガーシー議員は、日本に帰国すると逮捕される可能性があるので登院したくなかったのだと推察される。逮捕されるべき悪事があったのなら、どこにいようとさっさと逮捕されてしまえばいいと一方では思うのだが、この理由は議論の本筋ではない。

 例えば、遠隔地に居住していたり、病気であったり、といった個人的な事情を抱えている人が、国会に参加できないことが果たして適当なのだろうか。

 国会議員には、一般的な家族が暮らす生活費以上の交通費が支給されている。彼らは、地元の声を聞くためと称して、あるいは次の選挙に備えて、頻繁に地元と東京との行き来を繰り返しているが、この交通費、そして移動には相当の無駄があるのではないか。

 国会への参加は、地方からでも、病院の中からでも、外国からでも、議員本人がリアルタイムで真面目に参加するなら、何の問題もないのではないか。「有権者の意見を代弁すること」には何の支障もないはずだ。

 例えば、障害や病気を抱えた議員にとっては、議場をバリアフリーに作り替えることも大事かもしれないが、オンライン参加できることの方がもっと有効ではないか。

 もちろん、今の法律や制度が本人の登院を前提にしているのでこれらの改変手続きが必要だろうし、オンラインでの議事進行のためには技術的にクリアしなければならない問題が「不可能ではないが、結構面倒だ」というくらいのレベルで存在するだろう。しかし、その技術は応用・転用も利くはずだし、現在の議員にかけている莫大な交通費と行き来の時間のコストを考えると、開発費は簡単にペイできるのではないか。

 オンライン化された国会は、アーカイブの利用も含めて、国民が視聴するのも便利だし、政治の分析にも有益だろう。

 議場へのリアルな参加は特別に擁護すべき価値のある伝統だとは思えない。わが国では、たかだか明治維新以降に外国のまねをして始めた制度にすぎない。大事なのは議論の実質だろう。例えば、外務大臣が外遊先からオンラインで答弁しても何ら構わないではないか。

 議会のデジタル化・オンライン化は、国のデジタル政策が取り組む価値のあるテーマの一つではないだろうか。