今年1月10日はロンドンに世界初の地下鉄「メトロポリタン鉄道」、現在のハマースミス&シティー線パディントン~ファリンドン間約6キロが開業して160周年だった。日本の鉄道は昨年10月に150周年を迎えたが、本邦に鉄道が開業する10年も前に地下鉄は走り始めていた。日本地下鉄協会が編さんした『世界の地下鉄』によれば世界169都市(2020年時点)で地下鉄が走っており、日本でも北は札幌から南は福岡まで9都市に10の地下鉄事業者が存在する。都市機能を支える地下鉄はどのように誕生し、発展していったのだろうか。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
約160年前のロンドンで
日本人使節団が見た地下鉄
メトロポリタン鉄道が開業した1863年、文久3年を迎えた日本では攘夷(じょうい)の風が吹き荒れていた。桜田門外の変から3年が経過して幕府の権力はますます揺らぎ、尊王攘夷派が台頭。長州藩がイギリス・フランス・オランダ・アメリカの艦船を砲撃した「下関戦争」、薩摩藩がイギリス海軍と交戦した「薩英戦争」が勃発した。幕府と朝廷、有力大名の思惑が入り乱れる「幕末」のクライマックスの幕開けであった。
そんな時代、日本人がロンドンで地下鉄に乗った記録が残っている。1865(慶応元)年、江戸幕府外国奉行柴田剛中を特使として、横須賀製鉄所創設のための技師の雇い入れ、機械用具買い付けを交渉するためイギリス、フランスに派遣された使節団一行である。
使節団に随行した熊本藩士の岡田摂蔵が記した『航西小記』によれば、彼らはパリを訪問後、同年12月8日(慶応元年10月21日)にロンドンに上陸しているが、12月21日(同11月4日)にメトロポリタン鉄道に乗車し、「帰途蒸気車に乗して地の下を巡る。これはロンドン府の周囲をまわりたる道なり」と記している。
福沢諭吉の慶應義塾で蘭学、英学を学んだ岡田であるが、鉄道に乗るのは初めてだったはずだ。それでありながら「すでに平地および屋上に線路を設け汽車の通路となされども、人民なお往返の便利欠くところあるが故に、両三年前、地下を掘り鉄路を敷き、往返の便利となす。よってロンドン府の繁華一増したりと云う」と記しており、地下鉄とは何たるものかを正確に理解していたことが分かる。世界最先端の大英帝国に圧倒されるだけではなく、その本質を学ぼうとした彼らの見識がうかがえる。