天才鍛造工の父が勝手に廃業した会社を、取引先ゼロ+キャッシュフローほぼゼロ+金融機関からの融資拒否という状態で引き継いだものの、類まれな経営手腕によって、わずか数年で業績を回復、その後100億円で上場会社に売却した平美都江社長こと“なぜおば社長”。じつは、そんな輝かしい功績の裏では、相続・事業承継をめぐる地獄のようなエピソードが数多く起きていたのです。
団塊の世代が後期高齢者の75歳を迎える今後、日本全国で頻発する「相続・事業承継」問題に、少しでも手助けになればとの思いから、『なぜ、おばちゃん社長は連続的に勃発する地獄のような事件から生き残れたのか? これ1冊でもめない損しない相続・事業承継』を上梓。創業者である父との相続問題、事業承継問題、弟の事故死による自社株問題、会社売却問題などなど、豊富な“地獄エピソード”とともに、その対策法をまとめた1冊です。
本連載では、なぜおば社長が遭遇した事件のいくつかを抜粋・再構成のうえ紹介します。
父が自分で起業した会社に貸し付けたお金で問題勃発!
2017年、父の昭七の葬儀は、平鍛造の創業者にふさわしく、盛大で荘厳なものにすることができました。私は大きな責任を一つ果たすことができたように感じました。
しかし、相続の問題は依然、残りました。
父はその“人生観”“死生観”により、後に残された家族のことまで考えようとはしませんでした。私自身、父の口から「相続」や「自分がいなくなったら」という言葉を一度も聞いたことがありません。ですから、父の遺志を慮ることで、苦労することになりました。
すでに2016年、父には成年後見人が付いていたため、相続の手続きそのものは非常に簡単でした。そのままを申告すればよかったからです。長原弁護士が成年後見人として、当時から父のすべての財産を洗い出し、信託してくれていました。
それでも問題は残りました。その一つが「貸付金」です。長原弁護士によれば「貸付金も故人の大事な財産」とのことでした。返済してもらえば、の話ですが……。
父は持っていた水田を埋め立てて果樹園にして農業を始め、前述したように最高品質のリンゴを栽培し、皆を驚かせました。
しかし、まったく農産物の販売をする気がなく、会社を起こした2010年から亡くなるまでの2017年まで、会社の売り上げをあえてゼロにしていました。その間、私は父が快方に向かうことに専心し、農業のことまで聞いていなかったため、リンゴを売らなかった確かな理由は今もわかりません。
ともかく父には莫大な財産があったため、水田を畑に埋め立てたり、青森からリンゴの樹を運搬したりといった初期投資はもちろん、非常に手間のかかる無農薬栽培の人件費などは、父個人の貯金から農業会社である平農林の「貸付金」で賄われていました。
ものづくりに徹底的にこだわる父からすれば、最高品質の果物ができる農業は最高の満足でもあり、お金の使い道としても最善の選択だったのでしょう。
しかし、父が亡くなり、いざ「相続」の話となると、途端に、その「貸付金」が問題になりました。