天才鍛造工の父が勝手に廃業した会社を、取引先ゼロ+キャッシュフローほぼゼロ+金融機関からの融資拒否という状態で引き継いだものの、類まれな経営手腕によって、わずか数年で業績を回復、その後100億円で上場会社に売却した平美都江社長こと“なぜおば社長”。じつは、そんな輝かしい功績の裏では、相続・事業承継をめぐる地獄のようなエピソードが数多く起きていたのです。
団塊の世代が後期高齢者の75歳を迎える今後、日本全国で頻発する「相続・事業承継」問題に、少しでも手助けになればとの思いから、『なぜ、おばちゃん社長は連続的に勃発する地獄のような事件から生き残れたのか? これ1冊でもめない損しない相続・事業承継』を上梓。創業者である父との相続問題、事業承継問題、弟の事故死による自社株問題、会社売却問題などなど、豊富な“地獄エピソード”とともに、その対策法をまとめた1冊です。
本連載では、なぜおば社長が遭遇した事件のいくつかを抜粋・再構成のうえ紹介します。

母の遺産を独り占めにしようとするカリスマ経営者の父

予想だにしなかった母の死。さらに母のタンス預金が見つかると、
父の本性が現れる事態に

 私たち家族にとって、62歳での母の死は、悲嘆に暮れたというよりも、受け止め切れずにいたというのが本当のところです。

 父にとっては配偶者がいなくなったわけですから、将来、父が亡くなったときの遺産は、直接、子どもである私と弟に渡ることになります。その際には配偶者控除はなく、とても現金では納付できないような莫大な相続税がダイレクトにかかることになります。私は慌てました。

 しかし、それはほんの序の口、さらにショッキングな出来事が続きます。

 驚くことに、母の遺産が見つかったのです。タンス預金の5,500万円が出てきました。

 1968年、私たち家族が石川県羽咋市にUターンして、父がこの地で創業したての頃は家もありませんでした。私たち家族は母の実家に居い 候そうろうをさせてもらい、父は会社に泊まり込んで働きました。当時、母も働きに出ていましたが、そのときに貯めていたにしても、これほどの額にはならないでしょう。

 父の給料から少しずつ貯めたとしか思えませんが、これだけの額となると10年、いやそれ以上、ひょっとしたら結婚した当初から40年近くかけて貯めたお金かもしれません。

 当時は8%金利でした。複利で預金をしていれば、10年で倍になる時代でしたが、それにしても母がこれだけの大金を持っていたということに驚きました。

 が、さらに驚くべきことには、この母が遺した5,500万円を、父は「全部、俺のものだ」と言い出したのです。私にとって父の「信条」に初めて触れた“出来事”であり、母の死とともに訪れた思いもよらぬ相続についての初めての“事件”でした。