天才鍛造工の父が勝手に廃業した会社を、取引先ゼロ+キャッシュフローほぼゼロ+金融機関からの融資拒否という状態で引き継いだものの、類まれな経営手腕によって、わずか数年で業績を回復、その後100億円で上場会社に売却した平美都江社長こと“なぜおば社長”。じつは、そんな輝かしい功績の裏では、相続・事業承継をめぐる地獄のようなエピソードが数多く起きていたのです。
団塊の世代が後期高齢者の75歳を迎える今後、日本全国で頻発する「相続・事業承継」問題に、少しでも手助けになればとの思いから、『なぜ、おばちゃん社長は連続的に勃発する地獄のような事件から生き残れたのか? これ1冊でもめない損しない相続・事業承継』を上梓。創業者である父との相続問題、事業承継問題、弟の事故死による自社株問題、会社売却問題などなど、豊富な“地獄エピソード”とともに、その対策法をまとめた1冊です。
本連載では、なぜおば社長が遭遇した事件のいくつかを抜粋・再構成のうえ紹介します。
悪魔か鬼か!? 息子の遺産を「全部俺のもの」と譲らぬ父
母の死から10年後、私たち家族にとって驚くべき、取り返しのつかない事件が再び起こりました。平鍛造で社長を務めていた弟が、工場内でフォークリフトの事故で亡くなったのです。
青天の霹靂ともいうべき弟の死は、家族にとっては、とてつもない衝撃でした。
仕事を家に持ち込むことを嫌っていた母が亡くなったことで、家は会社の会議室のようになっていました。365日24時間シフトを強いられているようなもので、母の存在がどんなに大きかったかをしみじみ感じていました。しかし、そんな中、次に弟が亡くなったのです。そして、ここで、本格的な「相続」の問題が起こりました。
弟の遺産は、母のときとは比べようもないほど大きなもので、ある程度のトラブルは覚悟していましたが、想定以上の“事件”がまたしても起こったのです。いや、引き起こされたのです。
言うまでもなく、事件の主人公は父です。父はここでもまた弟の遺産は「すべて俺のものだ」と言い出したのです。
父は当時、社長の座は弟に譲っていましたが、ワンマン体質は相変わらずで、会社では会長として権勢を振るっていました。
弟はかなりの財産を持っていました。最も価値があったのが自社株です。会社の全株の3分の1を所有し、14億円が相続税評価額でした。もともとは父が全株を持っていたのですが、3分の1を弟に譲渡し、弟は毎月の給料から少しずつ譲渡株の支払いをしていたのです。
ちなみに私も同じように毎月支払う形で、やはり3分の1の自社株を所有していました。
弟はほかにも現金をはじめ、上場企業の有価証券や金の延べ板も持っていました。
弟には配偶者(私にとって義理の妹)と息子(甥)がいましたから、民法では、弟の遺産の2分の1をそれぞれが相続することになります。ところがどういうわけか、父は、弟の遺産は預貯金なども含めて「全部自分のもの」と言い出したのです。