1999年、若きイーロン・マスクと天才ピーター・ティールが、とある建物で偶然隣り同士に入居し、1つの「奇跡的な会社」をつくったことを知っているだろうか? 最初はわずか数人から始まったその会社ペイパルで出会った者たちはやがて、スペースXやテスラのみならず、YouTube、リンクトインを創業するなど、シリコンバレーを席巻していく。なぜそんなことが可能になったのか。
その驚くべき物語が書かれた全米ベストセラー『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』(ジミー・ソニ著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社)がついに日本上陸。東浩紀氏が「自由とビジネスが両立した稀有な輝きが、ここにある」と評するなど注目の本書より、内容の一部を特別に公開する。
マスクの買った、桁外れのスポーツカー
2000年初め、コンフィニティCEOピーター・ティールと、X.comのイーロン・マスクは、メンローパーク・サンドヒルロード2800番地のVC、セコイア・キャピタルのオフィスで、合併について話し合うことになった。
マスクは前年、マグネシウムシルバーのマクラーレンF1(車体番号67番)をドイツ人の製薬会社重役ゲルト・ペトリクから購入していた。
ガルウィングドアと金箔貼りのエンジンルームを持つこの100万ドルのスポーツカーを、マスクは「芸術作品」「実に美しいエンジニアリングの逸品」と呼んだ。マクラーレンの中でも、67番は別格だった。当時アメリカで合法的に運転できた、たった7台のマクラーレンF1のうちの1台だった。
マクラーレンは世界最高の車をめざすという高い志を掲げ、F1レーシングカーの構造をもとにその車をつくり、発売するやいなや世界的称賛を得た。「F1は自動車史の大事件として記憶に刻まれるだろう」とある批評に書かれている。「おそらく史上最速のロードカーである」
軽量のボディには公称600馬力超のエンジンが搭載されていた。「マツダ・ロードスターと同等の重量で、その4倍の馬力を持つ車を想像してほしい」と、マクラーレン愛好家のエリック・レイノルズは言う。この低い重量出力比のおかげで、時速200マイル(322キロ)を超えるスピードで走ることができる。
だがこの高出力のせいで、経験の浅いドライバーには危険な車となった。オーナーの一人、イギリスの俳優ローワン・アトキンソンは、マクラーレンF1を二度も大破させたことで知られる。マスクがF1を購入したころも、スタートアップを売却したばかりの若いイギリス人起業家が、マクラーレンを運転中に木に激突して、同乗者二人とともに死亡した。
人生の一つの瞬間
「マクラーレンを運転するには自制心が必要だ」とカー&ドライバー誌は、マクラーレンを絶賛する記事の中で警告している。「なぜならそれを正しく運転する方法はなく、そのパワーと速度の全貌を知る方法さえないのだから」
F1が納車される日、CNNが取材にやってきた。「ほんの3年前は、YMCAでシャワーを浴びてオフィスの床に寝ていた」とマスクはカメラに向かって照れくさそうに話した。「それがいまやこうして100万ドルの車を手にした。人生の一つの瞬間だね」
ブルネイ国王やミュージシャンのワイクリフ・ジョン、コメディアンのジェイ・レノなどの大富豪のオーナーとは違って、マスクはF1を購入したことで預金残高がガクンと減った。またマスクは他のオーナーとは違って、F1を会社にも乗っていった──おまけに保険もかけていなかった。
マスクとティールの危険なドライブ
マスクはティールをF1に乗せてサンドヒルロードを運転しながら、この車について語っていた。「ヒッチコックの映画のようだった」とティールは言う。「15分くらい車のことを話していた。これから出るミーティングの話をしなくてはいけないのに」
ドライブ中に、ティールはマスクのほうを見て言った。
「で、この車は何ができるんだ?」
「まあ見てくれ」とマスクは言うと、アクセルを一気に踏み込み、サンドヒルロードで車線を変更した。
いまにして思えば、F1は自分には背伸びだったとマスクは言う。
「運転方法がよくわかっていなかった。あの車にはスタビリティシステムがない。トラクション制御もない。出力が大きすぎて、時速80キロでもタイヤが浮き上がるんだ」
ティールによれば、前の車がぐんぐん迫ってきて、マスクは追突を避けようと急ハンドルを切ったという。
マクラーレンは道路の縁石に激突し、マスクによれば「円盤みたいに」宙を舞い、地面に激しく叩きつけられた。「見ていた人たちは、僕らは死んだと思ったらしい」とマスクは言う。
ティールはシートベルトを締めていなかったが、二人は奇跡的に無傷ですんだ。マスクの「芸術作品」は無傷とはいかず、ピカソ的作品に変貌した。
九死に一生を得たティールは、道ばたで体の埃を払って、セコイアのオフィスにヒッチハイクで行き、しばらくしてマスクも合流した。
セコイアのオフィスで待っていたX.comのCEOビル・ハリスによると、ティールとマスクは遅れてやってきたが、理由は言わなかったという。「私には何も言わなかったね。普通にミーティングをした」
マスクはこの経験を茶化して言う。「ピーターはもう二度と僕とドライブしてくれないだろうな」。ティールも軽口を叩いている。「イーロンとは打ち上げを経験したよ──ロケットじゃなかったけどね」
(本原稿は、ジミー・ソニ著『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』からの抜粋です)