1999年、若きイーロン・マスクと天才ピーター・ティールが、とある建物で偶然隣り同士に入居し、1つの「奇跡的な会社」をつくったことを知っているだろうか? 最初はわずか数人から始まったその会社ペイパルで出会った者たちはやがて、スペースXやテスラのみならず、YouTube、リンクトインを創業するなど、シリコンバレーを席巻していく。なぜそんなことが可能になったのか。
その驚くべき物語が書かれた全米ベストセラー『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』(ジミー・ソニ著、櫻井祐子訳、ダイヤモンド社)がついに日本上陸。東浩紀氏が「自由とビジネスが両立した稀有な輝きが、ここにある」と評するなど注目の本書より、内容の一部を特別に公開する。
「世界の終わり」のように感じられた
ピーター・アンドレアス・ティールは、彼自身認めるように、実力主義社会で成功するためのあらゆる条件を満たすことに青年期を費やした。高校で優秀な成績を収め、スタンフォード大学に進学し、学士号と法務博士号を取得した。
「僕は中学から高校、大学まで、競争のレールに乗り続けていた」とティールは大学卒業生へのスピーチで語っている。「そのままロースクールに進めば、幼いころから受け続けてきたような試験で競い合うことになるのはわかっていた。それでもロースクールでは、これはプロフェッショナルになるためにやっているんだと言うことができた」
ロースクール卒業後も成功を続け、権威ある控訴裁判所の法務事務官になった。だがそこで大きな挫折がやってくる。最高裁判所の法務事務官になるための面接で落とされてしまったのだ。最高裁に拒絶されたことは、ティールにとって天地がひっくり返るほどの衝撃だった。
「世界の終わりのように感じられた」。そしてそれを機に「自分探しのクォーターライフ・クライシス」に陥り、法曹の世界を飛び出した。クレディ・スイスでデリバティブトレーダーとして働き、1996年に西海岸に戻った。
一貫した「逆張り思考」
カリフォルニアで心機一転、友人と家族から集めた資金でグローバルなマクロ経済戦略と通貨投資に特化したヘッジファンド、ティール・キャピタルを立ち上げた。
2年後、ティールはファンドの最初の社員を探すために、身近な人材プールを頼った。スタンフォード大学2年生のとき、同級生のノーマン・ブックと共同創刊した、大学からの資金援助を一切受けない学生新聞、「スタンフォード・レビュー」だ。
スタンフォード・レビュー紙は創刊号で、明確な逆張り思考を打ち出した。
「第一に、当紙はスタンフォードコミュニティを取り巻く幅広い問題について、オルタナティブな見解を示したいと考えている」。ティールはレビュー紙の資金調達と編集、執筆勧誘を担当し、各号の冒頭の論説を執筆した。「開かれた心、または空っぽの心?」「制度化されたリベラリズム」「西洋文化とその失敗」「誠実であることの重要性」といったタイトルの論説をものした。
スタンフォード・レビューは、支持者の目にはスタンフォード大学の息の詰まるようなポリコレに新風を吹き込む存在に映った。批判者にとっては、腹黒いあまのじゃく的な主張を繰り広げ、議論よりも挑発を優先する存在だった。同紙は学内で政治的異端として知られるようになり、創刊編集長のティールはのちにシリコンバレーでも政治的異端として名を馳せることになる。
大組織に行くか、天才と働くか?
──1つの物差し
スタンフォード・レビューは創刊者たちの卒業後も存続し、ティールは同紙を通じてキャンパスとのつながりを保っていた。卒業後も折を見てイベントに参加し、そこでテキサス出身の4年生、ケン・ハウリーを知った。二人は短い会話を交わし、連絡を取り合うようになった。
しばらくしてティールはハウリーの留守電に、ティール・キャピタルに参加しないかというメッセージを残した。
二人はパロアルトのステーキ店に夕食に行った。数時間後、ハウリーはティールの知識の深さと幅広さにすっかり魅了されていた。ハウリーは寮に戻るなり恋人に宣言した。
「ピーターは、スタンフォードの4年間に出会った誰よりも頭がいい。これからは一生、彼と働きたい」
ハウリーの恋人や友人、家族は腰を抜かした。東海岸の一流金融機関から好条件の内定をいくつももらっているのに、そのすべてを得体の知れない男のために蹴るというのか? ティール・キャピタルにはティール以外の社員はいなかった。オフィスすらなかった。
それでもハウリーは惹かれた。ティールの新しい会社にというより、ティールという人間に。ハウリーはスタートアップやテクノロジーに興味があり、ティールはそうした世界に通じているように思えた。彼に賭けてみよう。卒業後、ケン・ハウリーはティール・キャピタルに入社した〔注:ハウリーは後にティールと共にペイパルの共同創業者となり大富豪となった〕。
(本原稿は、ジミー・ソニ著『創始者たち──イーロン・マスク、ピーター・ティールと世界一のリスクテイカーたちの薄氷の伝説』からの抜粋です)