世界に多大な影響を与え、長年に渡って今なお読み継がれている古典的名著。そこには、現代の悩みや疑問にも通ずる、普遍的な答えが記されている。しかし、そのなかには非常に難解で、読破する前に挫折してしまうようなものも多い。そんな読者におすすめなのが『読破できない難解な本がわかる本』。難解な名著のエッセンスをわかりやすく解説されていると好評のロングセラーだ。本記事では、ハイデガーの『存在と時間』を解説する。
ニーチェの「神の死」宣言によって、よりどころを失った人類に残された最後の砦は「存在(ある)」だった。神という最高の価値観が失われたとしても、少なくとも何かが「存在」していることだけは間違いない。だから「存在」について考えれば、人生の秘密がわかるかもしれない──。
世界が「ある」ことに驚こう!
ハイデガーの主著『存在と時間』は「ある(ザイン)」ということはどういうことなのかを現象学的分析を通じて究明した大著です。
「コップがある」「ペンがある」などの「ある」を説明せよと改めて問われるとよくわかりません。
「ある」は「ある」に決まっているからです。でもハイデガーはこの「ある」についてぎっしり説明しています(それも第1部第2編だけで。残りは未完)。
ハイデガーは存在者と存在を区別します(存在論的差異)。
コップについて言えば、「コップ」(存在者)と「コップが存在する」(存在)することとは違います。
存在している「コップ」「ノート」「鉛筆」などは存在者です。これらは手に取ったりできますが、すべてに共通していることは「存在していること」です。「存在」それ自体は見えません。
だから「存在者」(コップなど)の中に、「存在」そのものを探し求めても無駄だというわけです。
では、存在者を存在たらしめている存在の作用のもとはなんなのでしょうか。
この著によると、「それは人間(現存在)だ」というのです。別に人間が妄想で外部の世界を作り出しているという話ではありません。
いっさいの存在者を存在させる「存在そのもの」についての考察をしたのでした。
「あるなぁ!」とリアルに感じている存在が人間(現存在)なのですから、その人間を分析すれば、存在の謎が解けるのではないかとハイデガーは考えたのです。
人間は自己の存在と人間以外の存在者の存在について理解を持つ唯一の存在者だからです。
「ある」は時間によってじわじわとわかる
現存在はどのようなあり方をしているのでしょう。まず、私たちは存在しようと決意したわけでもないのにいつの間にかこの世のただ中に投げ出されています(被投性)。
そのあり方は、石が箱の中に入っているように、自分が世界に入っているのとは違います。
現存在を取り巻く世界は、自分の気遣いから広がっている現存在とは切り離すことのできない世界です。
世界全体がパッケージになっているので、人間だけをぶつんとして取り出すことはできません。
このように、自分が常に一定の世界の内にあること、そしてこれを既成の事実として見出すよりほかない人間のあり方は「世界内存在」と呼ばれます。
ところで、私たちの日常を取り巻いている環境世界にまず現れる物は道具です。
道具は「○○のために」というように互いに指示し合って一つの連関をなしています(道具連関)。
こうした道具連関を成り立たせているものは現存在がそのつど自分自身の可能性を気にかけているからです(気遣い)。
明日は雨が降りそうだ。傘を用意しておこう。なんで傘を用意するのか。濡れないように。そして、明日も一日この傘をさしながら存在していられますように。
つまり、明日も無事でありたいとの自分の存在の可能性を気遣っているからこそ、道具の意味があるわけです(有意味性)。
気遣いは他人を気遣うということにつながります。気遣うと自分がなくなって他人が基準となり、ゴシップのネタなどを好奇心のなすがままに追いかけつつ、それについて友達とひたすらおしゃべりをしたりします。
そのとき、人間は自分自身として生きているのではなく、自分が世間的なレベルにあわせて生きています(「ダスマン(ひと)」)。
なぜ人はそんなことをするのかというと、本書によれば「死」から目を背けたいからだとされます。
人生のラストが「死」ですから、存在が時間から説明されることになりました。
「人は最後は死ぬもんだ」というような他人事の立場ではなく「死への存在」であることを直視して自分の死を受け入れる立場は「先駆的覚悟性」と呼ばれています。
だから、存在の意味は「時間性」ということになるのでした。
人生で役に立つこと
主観と客観という古い図式を取り去って、そこに開かれている世界をありのままに受け入れると「ある」ことの不思議が時間の中でリアルにわかってくる。「ある」ことに焦点をあてて生きてみよう。
富増章成(とます・あきなり)
河合塾やその他大手予備校で「日本史」「倫理」「現代社会」などを担当。
中央大学文学部哲学科卒業後、上智大学神学部に学ぶ。
歴史をはじめ、哲学や宗教などのわかりにくい部分を読者の実感に寄り添った、身近な視点で解きほぐすことで定評がある。
フジテレビ系列にて深夜放送された伝説的知的エンターテイメント番組『お厚いのが、お好き?』監修。
著書『21世紀を生きる現代人のための哲学入門2.0 現代人の抱えるモヤモヤ、もしも哲学者にディベートでぶつけたらどうなる?』(Gakken)、『日本史《伝説》になった100人』(王様文庫(三笠書房))、『図解でわかる! ニーチェの考え方』、『図解 世界一わかりやすい キリスト教』『誰でも簡単に幸せを感じる方法は アランの『幸福論』に書いてあった』(以上、KADOKAWA)、『超訳 哲学者図鑑』(かんき出版)、『オッサンになる人ならない人』(PHP研究所)、『哲学の小径―世界は謎に満ちている!』(講談社)、『空想哲学読本』(宝島社文庫)など多数。
【著者からのメッセージ】
私たちはなぜ本を読むのでしょうか。それは「本は人類が積み上げてきた叡智のアーカイヴだから」です。本は、人に知識や喜怒哀楽すべての豊かな経験を与えてくれる存在です。ときに読んだ人の人生を変えてしまう本だってあるでしょう。
この本で紹介しているのは、本のなかでも特に多くの人に読み継がれていたり、あるいは数千年という時を経ても今なお読まれている本、つまり「名著」です。
「名著」にはそう呼ばれるだけの理由があります。たとえば多くの人が今悩んでいることのほとんどは、この長い歴史上で誰かがすでに徹底的に考えていることです。紀元前という昔に遡っても、人間はやはり人間なのです。だから、もしあなたに悩みや、疑問に感じていることがあるなら、それらの答えのヒントはほぼ「名著」のなかにあるのです。
「目標がないし、やる気も出ない」「思考が乱れて集中できない」「健康なのに、なぜか疲れを感じる」「勉強したいが、どこから何をしたらいいのかわからない」「働いても働いても、楽にならないのはなんでだろう」「歳をとってきて、だんだん楽しみが減ってきた」
そんな悩みは、この本で紹介する「名著」のエッセンスを手に入れればたちまち解決するはずです。自分で思い悩むよりずっと気分が晴れること、請け合いです。
ところで、「名著」の多くは、とても難解で、それでいて分厚いものが多いです。しかし、名著が難解なのには、実は理由があります。分厚い古典的「名著」は、その時代背景と常識を前提として書かれているので、多くの場合、現代の私たちにとっては説明不足なのです。また、その学問世界の専門用語を「知ってるんでしょ?」という前提のもとに書かれていますから、こっちはわかるわけがない。
「名著」は、下手をすると一冊をしっかりと理解するのに20年以上かかります(それでも、さらに疑問は増えていきます)。普通に生きて普通に暮らしている私たちには、そんな時間はありません。つまり、「名著」とは基本的に「読破することができない本」なのです。
人生は短い。だからこそ「名著」をまず、おおざっぱに理解して、興味が出たら原典にあたればよいのです。この本では、古今東西の「名著」のうち哲学から心理学、経済学まで選りすぐった60冊のエッセンスをイラストとともにわかりやすく解説していきます。
※収録した60冊は、『ソクラテスの弁明』(プラトン)、『方法序説』(デカルト)、『実践理性批判』(カント)、『現象学の理念』(フッサール)、『歴史哲学講義』(フッサール)、『ツァラトゥストラはこう言った』(ニーチェ)、『存在と時間』(ハイデガー)、『存在と無』(サルトル)、『自由からの逃走』(フロム)、『社会契約論』(ルソー)、『資本論』(マルクス)、『論理哲学論考』(ウィトゲンシュタイン)、『グーテンベルクの銀河系』(マクルーハン)、『ポストモダンの条件』(リオタール)、『複製技術時代の芸術』(ベンヤミン)、『アンチ・オイディプス』(ドゥルーズ&ガタリ)、『21世紀の資本』(ピケティ)など。
もちろん原典と比べてその情報量は雲泥の差です(本書の場合、500ページ以上ある本も見開き4ページにまとめているのだから)。でも、なんにも読まないよりずっといいでしょう? そう思いませんか。分厚い本を一冊買って、読まないで部屋に飾っておくより、本書を電車の中で読んだほうがよいのではないでしょうか。
必ずしも時代順になっていないので、どこから読んでもOKです。パラッとめくって、全体を眺め、どんなふうに自分の役に立ちそうかを考えます。それぞれの本は、関連を他のページとリンクしてあります。つながりの意味については、本書の冒頭に収録した「ひと目でわかる名著の関連図」を参照してください。
ぜひ本書を活用して、自由な思考法を手に入れて、人生の難問解決をはかり、明日に向かって進んでください。きっと、すばらしい未来が広がっていくことでしょう。