世界に多大な影響を与え、長年に渡って今なお読み継がれている古典的名著。そこには、現代の悩みや疑問にも通ずる、普遍的な答えが記されている。しかし、そのなかには非常に難解で、読破する前に挫折してしまうようなものも多い。そんな読者におすすめなのが『読破できない難解な本がわかる本』。難解な名著のエッセンスをわかりやすく解説されていると好評のロングセラーだ。本連載では、本書の内容から「名著の読み解き方」をお伝えしていく。
愛と根性について書かれた孔子の語録
儒教の教えは「仁(じん)」に集約されます。
「仁」はもともと肉親間に芽生える愛を意味しました。よって、孔子においては、親兄弟への愛を重視します。
たとえば、親に対する徳目が「孝(こう)」ということです。
また、孔子の「仁」は肉親間の愛のみにとどまりません。「仁」は内面的・主観的な側面にとどまらず、外側へと表現されていきます。
これが、「礼」の徳目です。愛が外側にあふれ出れば自然に「礼」が実現します。
これは、社会的な人間関係にも影響する考え方です。
『論語』によれば、「親兄弟にあたたかい気持ちを抱いている人間は、上司にさからったりしない」(有子・学而(がくじ)編)と説かれています。
「義」は自己の欲(利)を抑える徳目です。
『論語』では、自己の欲望を抑えて、礼にかなった行動をとること、つまり欲望に克つことを「克己復礼(こっきふくれい)」といいます。
また、国の為政者がこれを行えば、国全体が安定します。法律によって政治を行う法治主義に対して、道徳により国を治めるという考え方の徳治(とくち)主義が説かれました。
人を刑罰で罰してもその抜け穴を考えて、やはり悪事をはたらくので、個々人の徳を養うことが先決だというわけです。
「政治を行うには徳をもとにしなければならない。徳をたとえて言えば北極星である。不動の北極星を中心に、すべての星が整然と運行するようなものだ」(為政編)
徳による政治を行う為政者は、みずからが徳をきわめなければならないのです。
愛をアップグレードした孟子
孟子は孔子の思想を受け継ぎ、「仁」を高めて「仁義」としました。愛の心に正義の心がプラスされたということです。
孟子は人間が生まれつき善の心をもっていると考えました。これを性善説といいます。
孟子の性善説は、四端(したん)説にまとめられます。端とは「端緒」「きざし」「芽」という意味ですから、善の端に水分や養分をふんだんに与えてやれば、それがすくすくと成長して徳という実をつけるのです。
「惻隠(そくいん)の心」とは「人の不幸をみすごすことができない心」「思いやり、憐みの心」です。これが拡充されると「仁」になります。
「羞悪(しゅうお)の心」とは「悪をみすごすことができない心」であり、これが拡充されると「義」の徳となります。
同じくそれぞれを拡充していきますと、「辞譲(じじょう)の心」からは「礼」、「是非(ぜひ)の心」からは「智」の徳が完成されるのです。
さらに、仁義の政治とは王道です。王道とは徳による政治のことで、仁政といってもよいでしょう。仁政の基盤は民衆を豊かにして安住させてやることです。
「人民は、自分たちの生活を楽にしてくれるための使役なら、どんなに辛くても怨んだりはしない。また、自分たちの安全を守ってくれるための刑罰なら、たとい殺されても怨みには思わない」(『孟子』尽心(じんしん)編)
また、政治家としては民に一定の収入や財産をもたせてやるような積極的な政策を進めるのが義なのです。
これができないような為政者はすぐさま天命によってリストラされてしまいます。
天命を受けたものが人民に幸福をもたらすために為政者となり、その使命を終えれば天命がかわって新しい王朝が建てられるとされます(易姓革命)。
天の意志は民衆の声にあらわれるので、仁義の徳に基づいて政治を行う者が、民衆の支持を受けてリーダーとなるのです。
仁義礼智(じんぎれいち)の徳目を自分のルールとして、日常生活に適用してみよう。特に他人を思いやる心と正義の心をもって行動することで、リーダーシップを発揮できるというのは、今も昔も変わらない。