世界に多大な影響を与え、長年に渡って今なお読み継がれている古典的名著。そこには、現代の悩みや疑問にも通ずる、普遍的な答えが記されている。しかし、そのなかには非常に難解で、読破する前に挫折してしまうようなものも多い。そんな読者におすすめなのが『読破できない難解な本がわかる本』。難解な名著のエッセンスをわかりやすく解説されていると好評のロングセラーだ。本連載では、本書の内容から「名著の読み解き方」をお伝えしていく。
ユダヤ教の経典だった『旧約聖書』
『聖書』には2種類あります。イエスが登場する前の聖書が『旧約聖書』、イエスが登場する聖書が『新約聖書』です。
旧約聖書は、キリスト教からの呼び方であり、「旧約」とは、古い契約という意味です。
もちろんユダヤ教の側では、聖書は一冊しかありませんし、旧約とも言いません(単に「聖書」と呼ばれます)。
旧約聖書の内容をかいつまんでいうと以下のようになります。
まず、天地創造の神がイスラエル人に律法(ルール)を与えます。神が与えた律法を守れば、人間は救われるのですが、人間はこれらを守ることができません。
そこで、彼らは苦難の歴史を歩むことになり、神は何度も預言者を使わして、人間にアドバイスをします。
それでも人間は、神のルールを守りきれません。そこで神はイスラエル人たちを繰り返しお仕置きします。
ルールを守らないと激しい神の怒りが下ります。
なにしろ、神が怒ると国がまっぷたつにされて、他国に連行されたりするのだから、たまりません(国が別れて、片方の国がユダと呼ばれ、ここからは、イスラエル人をユダヤ人と呼ぶというとらえ方もあります)。
イスラエル人たちもあんまり神に怒られるものだから、ビクビクしてルールを完璧に守ろうと決意し始めます。
親の顔色をうかがいすぎて、こんどは完璧主義で潔癖症みたいになってしまったのです。これを「律法主義」といいます。
彼らは絶望に陥って、最後は救世主(メシア)の出現を待ち望みます。でも、旧約聖書のストーリーでは、最後まで救世主は現れませんでした。
こうしてキリスト教が誕生した
これを引き継いだのが新約聖書で、待ち望まれた救世主がイエスであるという設定です(イエス・キリストは「イエスが救世主(メシア)である」という意味)。
当時、ユダヤ人たちは、ローマ帝国の支配下に入り、ほそぼそとやっていくしかない状態に追い込まれていました。
そこで、パリサイ派、サドカイ派(法律専門家のような人たち)が強い力を持ちました。
イエスはユダヤ人でユダヤ教の信者でした(大工ヨセフの息子)。本人はユダヤ教の教えを説いているつもりでした。ところが、その内容があまりに新解釈で斬新だったのです。
新約聖書の福音書には、「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる」など苦しむものへの慰めや、「復讐してはならない」「天に富を積みなさい」「人を裁くな」「悪口を言われたら喜べ」「欲情をもって人妻を見る者は、すでにその心のうちで姦淫(かんいん)している」などの数々の教えが綴られています。
イエスの教えや行動は律法学者にとっては挑発的な行為と解釈されました。
自分たちの伝統が崩されるのではないかと恐れを感じた彼らは、政治家に根回しをしてイエスを逮捕させます。
イエスは死刑(十字架刑)となりましたが、弟子たちの間では、3日後にイエスが復活したと信じられました。
さらに、弟子たちはイエスの死に、贖罪(しょくざい)という意味を与えます。
旧約聖書でイスラエル人たちが、自分たちの罪を清算することができなかったので、イエスが罪人にかわって十字架の死を遂げ、神に反逆している人間の罪をチャラにしてくれたのです。
これは、親が子どもの借金をかわりに払ってあげたような意味です。この後の弟子たちの活躍が記されているのが「使徒言行録」です。
ここには、イエスの昇天から弟子パウロのローマ滞在に至るまでの初代教会が成立していく過程などが記されています。
キリスト教は、イエスがつくったわけではなく、弟子たちの信仰によって構築されたのでした。
聖書の内容はざっくりと知っておきたい。聖書の知識なしでは、海外における習俗・習慣から政治的なパレスチナ紛争まで、その根本を理解することはできない。聖書を知ることで世界の新しい側面が見えてくる。