コメンテーターとしてメディアで多数活躍する内科医、おおたわ史絵先生ですが、著書の中では、薬物依存に陥った母とその呪縛に苦しめられ続けた過去を綴っています。産むんじゃなかったと悔やむ母と、いっそ死んでくれと願う娘。娘を「ブス」呼ばわりし、幸せを喜べない親の心理とは――。本稿は『母を捨てるということ』(朝日新聞出版)の一部を抜粋・編集したものです。
心から安心できる場所が
ひとつ欲しかった
結婚にまつわる話をしよう。ふつうならば幸せの絶頂以外のなにものでもないはずの出来事だが、我が家ではこんな好事ですらすんなりと運ぶはずがない。
結婚するつもりだと彼を両親に紹介したあとから、母の挙動は一気に不穏になった。親戚に娘の婚約を誇らしげに報告するのはわかるが、聞かれてもいない銀行の担当者やたまたま訪れた保険の外交員にまで自慢話を聞かせた。相手の容姿がどれほど整っているか、家柄が良いか、などといった話を、さも自分の手柄のように吹聴した。
かと思えば急に不機嫌になり、結婚に反対だと騒いだりもした。相手も相手の家も日取りも式場も、「とにかく全部、気に食わない!」とがなり立て、せっかくもらった婚約指輪にまでケチをつけた。そのせいでわたしはいまでもその指輪を見るたびにどこか嫌な気分がぶり返してしまい、戸棚の奥にしまい込んだままになっている。
ウエディングドレス選びもわたしひとりでやった。たいていのサロンには溢れんばかりの幸せオーラ満載のお母様と娘、なかにはお婆様まで女系3代が手に手を取って試着に訪れている。
「○○ちゃん、こっちのほうが可愛いんじゃない?」「あら、こちらがお上品だと思うわ」などと女同士の会話は尽きず、何時間も試着室を占領していた。店員さんたちも「お嬢様ならどちらもお似合いですよ」と、愛想笑いでそれに応える。
わたしはと言えば、家族の同伴もなくたったひとりでドレスを下見にくる花嫁なんてあんまりにもレアケースだから、たぶんただの冷やかしとでも思われていたのだろう。どこの店でもまともに接客してもらえないままに、ドレスの手配を事務的に終えた。
あのときに見たよその母娘の結婚準備をする姿が羨ましくなかったと言えば嘘になる。でもわたしにとってはウエディングドレスなんてこだわる価値のないものなんだと、自分に言い聞かせていた。大学の卒業式の袴も結婚式のドレスもそう、たった一日限りの形式上のもので、たいした意味なんかないんだ。そう思わずにはあまりにも自分がみじめになるだけだった。
その後も母の気分の乱高下はレベルを増し、しまいには結婚式にも出ないとまで言いだした。なんでそこまでこじらせるんだろう……と嘆く私を見かねた父が、「母親っていうのは、娘を嫁がせるのは自分の分身を持っていかれるような寂しさがあるんだろう。わかってあげよう」と慰めてくれた。