その夜、お母さんは亡くなりました。
それまで病状に全然変化がなかったのに、突然のことでした。
きっとこのお母さんも、それまでは死んでなるものか、と思っていたのかもしれません。
でも、この日の息子さんの言葉を聞いて、もういいかなとでも思ったのでしょうか。
けれど、この息子さん、悪態をついていたのは、実は逆の意味だったのかもと思うことがあります。
人前で優しい言葉をかけるのは気恥ずかしいし、悪態をつけば、もしかして言い返すためにお母さんが起き上がってくるんじゃないかとひそかに期待していたのかもしれない、とも思えるのです。
なぜなら、この息子さん、ちょくちょくお見舞いに来ています。
それだけで十分、お母さんを気にかけていることがわかります。
現実には、お見舞いにも来ないご家族のほうが多かったりするものです。
ですから、来るたびにいくら悪態をついていようと、きっとお母さんのことが大好きだったのでしょう。
死ぬ時間さえ、本人が選んでいるのではないかと思うことがあります。
長く入院している患者さんなどは、私たちが忙しい時間を避けて亡くなってくれているとしか思えないことがあります。
こちらの思い込みにすぎないのかもしれませんが、食事の時間や、朝の排せつケアが重なる忙しい時間帯に亡くなる方は少なく、「絶対、避けてくれたよね」と思うことがあります。長く入院していれば、自然と看護師の動きもわかっているはずだからです。
また、患者さんにも、好きな看護師、苦手な看護師がいるものです。
夜勤に行って、「看護師の後閑です。今日は夜勤なので、よろしくお願いします」と患者さん一人ひとりに声をかけていくと、
「あ、今日はあなたが夜勤なの。よかった」
と言ってもらえることもあります。
「よかった」と言ってもらえれば、うれしいものです。
看護師の間ではよく、こんなことが言われます。
「この患者さんは、あの看護師さんが好きだから、亡くなるなら絶対にこの人が夜勤のときだと思う」
すると、本当にそうなったりするから不思議なものです。
「死に時」といえば、他にもこんなことがあります。