時計業界を取り巻く環境が激変する中、大手3社は変革を迫られている。実は、“御三家”の一角であるセイコーには、10年以上前に大きな転機が訪れていた。創業家出身で大株主でもあった絶対権力者の服部礼次郎氏を“追放”するという「お家騒動」に見舞われていたのだ。この内実に迫った当時の記事を再公開する。果たしてセイコーは、“服部商店”を脱することができたのか。2010年の本稿と、特集『セイコー、シチズン、カシオ 時計“御三家”の黄昏』を読み比べてみてほしい。(ダイヤモンド編集部)
「礼次郎(れいじろう)さんが委任状を渡してくれない」
6月上旬、服部家の資産管理会社「三光起業」の株主総会を控え、セイコー関係者には緊張が走った。
三光起業は、セイコーの筆頭株主である。服部礼次郎は、三光起業に約4割出資する大株主で、セイコー自体の大株主でもある。
今回の社長解任劇で“追放”した礼次郎が委任状の提出を拒否し、わざわざ総会に出てくる。社長を解任し、三光起業を通じ、セイコーを実質的に支配するのではないか。その懸念が広がったのだ。
セイコーは今、必死に生まれ変わろうとしている。だが、最大のリスク要因は、いまだに創業家の服部家にあるのだ。まずは、セイコーの経緯に触れ、今回の解任劇の内幕を明かそう。
次ページ以降では、創業家一族が互いに激しく対立したセイコーの「お家騒動」の一部始終を公開するとともに、当時の中期経営計画にも触れながら、新政権に課せられた責務について明らかにする。13年前に掲げられた変革は、その後成し遂げられたのか。特集『セイコー、シチズン、カシオ 時計“御三家”の黄昏』の#4『時計3社「独り負け」のセイコーが反撃の狼煙!エプソンとの腐れ縁が復活の鍵に』を参考に読み進めてみてほしい。