言語や創造性をはじめとして、意識は生物としての人間らしさの根源にあり、種としての成功に大きく貢献したと言われてきた。なぜ意識=人間の成功の鍵なのか、それはどのように成り立っているのか? これまで数十年にわたって、多くの哲学者や認知科学者は「人間の意識の問題は解決不可能」と結論を棚上げしてきた。その謎に、世界で最も論文を引用されている科学者の一人である南カリフォルニア大学教授のアントニオ・ダマシオが、あえて専門用語を抑えて明快な解説を試みたのが『ダマシオ教授の教養としての「意識」――機械が到達できない最後の人間性』(ダイヤモンド社刊)だ。ダマシオ教授は、神経科学、心理学、哲学、ロボット工学分野に影響力が強く、感情、意思決定および意識の理解について、重要な貢献をしてきた。さまざまな角度の最先端の洞察を通じて、いま「意識の秘密」が明かされる。あなたの感情、知性、心、認識、そして意識は、どのようにかかわりあっているのだろうか。(訳:千葉敏生 初出:2022年7月31日)

意識を語る科学者Photo: Adobe Stock

なぜ今、意識が重要なのか?

 最近、これほど多くの哲学者や科学者たちが、意識について書き記しているのはなぜなのか? つい最近まで、一般の人々はおろか、科学の文献の中でさえ、そう多くは取り上げられなかった話題が、今や学術研究の代表的なテーマや関心の的へとのし上がったのはどうして? そんな疑問を抱く人もいるかもしれない。

 だが、答えは単純だ。意識が重要であることに、みんながやっと気づき始めたからだ。

 意識の重要性は、意識が人間の心に直接もたらすものと、意識が人間の心に発見させるものの、二つにある。意識は、快から痛みまで、さまざまな心的体験を可能にする。その中には、私たちが観察、思考、推論の過程で、周囲の世界や内部の世界について表現する際に知覚、記憶、想起、操作する物事も含まれる。

 現在の心的状態から、その意識的な構成要素を取り除いたとしても、あなたや私の心の中では相変わらずイメージが流れているだろうが、そのイメージはもはや、唯一無二の個人としての私たちとは結び付けられていないだろう。そのイメージは、あなたにも、私にも、誰にも所有されないまま、ふらふらと漂流しつづける。誰もそのイメージが誰に属するのかわからない。ギリシャ神話のシーシュポスなら、この状況に大喜びするだろう。彼が悲劇的な人物なのは、悪夢のような苦境が、ほかの誰でもない自分自身のものだと認識しているからこそなのだ。

 意識がなければ、何事も認識しえない。意識は、人間の文化の発展に欠かせないものであり、人間の歴史の道筋を変えたといえる。意識の重要性は、どれだけ強調しても強調しすぎではない。その一方で、意識の生じ方を理解することの難しさを誇張し、それを解明不可能な謎だと吹聴するのはやさしい。

 では、脊椎動物や多くの無脊椎動物の種にもおそらく意識があるというのに、私が人間における意識の重要性について書いているのはなぜなのか? 意識は人間以外の生物にとっても重要ではないのか? 間違いなく重要だし、私はけっして人間以外の生物の能力や重要性を軽んじるつもりはない。ただ、私は次の事実に最大の敬意を表(ひょう)している。

1)人間の体験する痛みや苦しみこそが、一心不乱に何かを生み出す並外れた創造力の源泉であり、創造活動の引き金となるネガティブな感情に対抗しうる、ありとあらゆる道具の発明につながったこと。

2)幸福や快の意識が、生存にとって有利な個人的・社会的状況を確保し、改善していく無数の方法を動機づけてきたこと。

 たしかに、人間以外の生物も、同じように痛みや幸福に反応してきたが、ごく一部の特筆すべき例外を除いて、その反応の仕方は人間よりも単純で、直接的といえる。たしかに、人間以外の生物も、痛みや苦しみの原因を回避したり、緩和したりすることに成功してきたが、たとえばその根源を是正することはできていない。人間にとっての意識の影響は、その影響の及ぶ範囲という点で、ほかの生物よりずっと大きいのだ。

 ただし、それは意識の中核的なメカニズムが人間だけ特別なものだから、というわけではない点に注意してほしい。私は、意識のメカニズムは、人間と人間以外で変わらないと信じている。むしろ、人間の知的能力のほうがずっと巨大で幅広いから、と考えるべきだ。その巨大な知的能力のおかげで、人間は新たな事物、活動、アイデアを発明し、苦と快という両極端な体験に反応することができた。そのことが文化の創造へとつながったと言っていい。