脳への「だまし」が限界を押し広げる

 コバヤシの成功から学べる2つめの教訓は、ぼくたちが「受け入れる限界」「受け入れようとしない限界」と関係がある。

 あの夜カフェ・ルクセンブルグで夕食を食べながら、コバヤシは言った。訓練を始めたとき、コニーアイランド大会の25と8分の1本という世界記録を正当なものだと思わないようにしたと。なぜか? それまでの出場者はホットドッグの早食いについて的外れな問いを立てていたから、過去の記録には大して意味がないと考えたのだ。彼の目には、記録そのものが人為的なバリアになっているように見えた。

 だからコバヤシは、25と8分の1本が上限だなんてまったく思わずに大会に臨んだ。自分がいま何本目のホットドッグを食べているかだけに集中するよう意識をもっていき、どうやって食べるかに神経を注いだ。もし25と8分の1本をバリアとして意識していたら、初めての大会で優勝できただろうか? できたかもしれないが、記録を2倍に伸ばしたとはとても思えない。

 一流のアスリートでも「だまし」によって成績を伸ばせることが、最近の研究でわかっている。ある実験で、自転車選手に訓練用のサイクリングマシンを全速力で4000メートル漕いでもらった。それから時間をおいてもう一度同じことをくり返したが、このときは一度目のタイムトライアルで自分がペダルを漕いでいる映像を見ながらやってもらった。

 選手は知らなかったのだが、じつはこの映像は漕ぐスピードを実際より速めていた。それでも彼らは映像のペースについていき、自分の全速力と思っていたスピードを超えられたのだ。「スピードの決め手になる器官は心臓や肺ではなく、脳なのだ」と、高名な神経学者で、人類史上初めて1マイル(約1.6キロ)4分の壁を破った陸上競技選手としても知られる、ロジャー・バニスターも言っている。

 誰もが物理的、経済的、時間的など、いろいろなバリアに日々ぶつかっている。本物の手ごわいバリアもあるが、まるで人為的なものもある。たとえば何かの制度がどれだけうまく機能しそうかとか、変化がどこまで許されるのかとか、どうふるまうのが無難かといった期待がそうだ。

 今度、想像力や意欲や創造性に欠ける人たちが勝手にこしらえたバリアにぶつかったら、全力で無視してみよう。問題を解決するだけでも十分難しいのに、最初から無理だなんて決めつけていたら、解決できるものもできなくなってしまう。

「人為的なバリアがそんなに強力だろうか?」なんて疑っている人は、簡単なテストをやってほしい。たとえばあなたはずっと体を動かしていなくて、キレをとり戻したいと思っている。腕立て伏せでもやるか。何回やろう? そうだな、ずいぶんやっていないから10回から始めるか。ハイ、用意始め! 精神的、肉体的な疲れを感じ始めるのは何回目? たぶん7、8回目だろう。

 それじゃ今度は10回じゃなくて、20回やると決めたとする。疲れを感じ始めるのはいつごろだろう? ほら、うつぶせになってやってごらん。たぶん運動不足を痛感するのは、10回を優に超えてからだ。

 コバヤシが最初の年に25本を一気に突破できたのは、それまでの記録を受け入れなかったからだ。コニーアイランド大会では、出場者一人ひとりにバネットと呼ばれる女の子がついて、数字の書かれたプラカードを頭上に掲げ、選手が何本食べたかを観客に知らせる。でもこの年は、途中でプラカードが足りなくなった。コービー担当のバネットは、黄色い紙にマジックで数字をひたすら書き殴っていった。競技が終わったとき、日本のテレビリポーターが気分はどう、と声をかけた。

「まだまだ行けるよ」とコービーは答えた。

(※本原稿は書籍『0ベース思考』からの抜粋です)