智弁和歌山、早稲田実、広島商
常連名門校がしのぎを削る

 第6位には3校が43勝で並んでいる。1校目が智弁和歌山高(43勝22敗)。一昨年夏には優勝して5勝を積み上げ、6位まで上がってきた。1990年代には圧倒的な成績を残していたが、昨年夏は甲子園には出場したものの初戦敗退、今年は県大会初戦で敗退と監督の交代もあって苦しんでいる。

 2校目は早稲田実(43勝28敗1分け)。1915年の第1回大会に出場した名門で、昭和末から平成初めにかけては低迷したものの、戦前・戦後を通じて強豪の地位を保ち続けている。「1分け」とあるのは、2006年の決勝戦での駒大苫小牧高との延長15回1-1の試合。

 そしてもう1校が、広島商(43勝16敗)。こちらも1916年の第2回大会に出場した名門校で、戦前だけで優勝5回(春2回、夏3回)を数え、戦後もしばらくは全国屈指の強豪として活躍していた。同校はバントを多用して確実に1点を取り、投手を中心として守り抜く野球を身上としていた。そのため、池田高やPL学園高に代表されるパワー野球が広がるにつれて出場回数が減少。平成以降夏の出場は2004年、2019年の2回しかなく、いずれも初戦で敗退している。

 5位はPL学園高(48勝13敗)だ。こちらは学校の創立が戦後の1955年で、甲子園初出場が1962年。1970年夏に早くも準優勝すると、以後平成中盤までその名を全国にとどろかせた。とくに、1970年代後半から1980年代にかけての10年間は、無敵とも思われる強さを発揮した。しかも甲子園で勝つだけではなく、卒業した部員が次々とプロ入りして各球団の中心選手として活躍するなど、高校野球の盟主の座に君臨していた。

 その破竹の勢いから、あらゆる記録を塗り替えるかと思われていたが、内部事情で専任監督が不在となり、2016年夏の府大会を最後に休部、翌17年には高野連を脱退した。現在再開のめどは立っておらず、やがてベストテンからも消えそうだ。

 4位には、天理高(49勝27敗)がランクイン。野球部自体は戦前から予選に参加していたが、甲子園に出場したのは1954年の春が最初、夏の大会は1959年が初めてだ。以来一貫して一定の力を保ち続け、62年間で49勝を積み上げた。一昨年の選抜でもベスト4に進んでおり、まだまだ勝ち星は伸びそうだ。